愛の見つけかた

客観的な女性性、男性性は存在しますが、精神的な母親、父親となると

非常に怪しくなってきます。

それは悪いことと言うよりも、その役割が難しいが故です。

それなりの家族らしさを保つために、それぞれの家庭が個性的な

ルールを作りあげます。

それは暗黙の了解として家族を結び付けるのですが、その了解の正体は

誰がどのくらい家族の甘えを引き受けるのかというバランスです。

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家族の甘えをより多く引き受けるのが母親という役割であるならば、

その家族で本当は誰が母親の役割をさせられているのかは、外からは

分かりません。

子供を産んだ女性がそのまま、家族の甘えも引き受けるとスタイルが

一般的なスタイルですが、その女性は自分のストレスを子供に

巧妙に背負わせることで甘える場合もあります。

見かけ上は、可愛がられた子供でも、心理的には母親に甘えられてしまい

子供である本人は甘えを体験出来なかったということも珍しくはありません。

そのような人は、あらゆる繋がりに母親を求めます。

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無意識に「愛はあるのだろうか」と問いかけながら探し求めるのです。

ところが無償の愛というものは存在しません。

何らかの対価ともいうべき価値が必要になります。

親の役に立てれば愛されたり、学業成績が良ければ教師に好かれるかも

知れません、交際相手のニーズを満たせば愛されるかも知れません。

ところが甘えを満たすことと愛されることは同じではないので

どこまで行っても噛み合わないことになります。

愛することも難しいですが、愛されることも同じくらい難しいのです。

バースチャートの月の鏡が大切なのは、甘えられなかった自分を

そこに映し出して無償の愛を注ぐことにあります。

どんなにその人に相応しいパートナーが現れても、甘えを満たしてくれることを

求め続ければ、いつかは破綻します。

それは支払い能力以上に買い物を続けることと同じです。

時間、体力、精神的資源を含め人は有限ではありませんが制約はあります。

健全な人ほど、それらを自分や周囲の人々の発展のために使おうとします。

だからといって恐る恐る甘えれば、それは怒りの温床に変容していきます。

微に入り細にわたり自分を甘やかしてあげられるのは月の鏡しかありません。

月の鏡に映り込むものは、全ての天体、感受点です。

鏡に映し込んで実態を持たせることで触れることが出来ます。

人の感覚は、その体験を嘘だとは思いません。

渇きが激しい人ほど、癒されたと思ってはしゃいで、また渇きを覚えて

失敗したり絶望します。

上手く生きているように見える人たちは、自分の甘やかし方が上手なだけです。

そのことに終わりはありません。

自分の甘えに振り回されなければ愛はすぐに見出せます。

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