漠然とした不安から積極的に逃れる道

現実的な苦しい状況から救われたいという

人であれば、具体的な解決方法はあります。

もちろん、それを成し遂げることは、

問題に応じて、大変な労力と援助が

必要になります。

厄介なのは、漠然とした不安です。

若くて時間や可能性がある人たちが、

死にたくなる理由の一つには、存在に対する不安、

自分だけが孤立している感覚や周囲の人間から

自分だけ見捨てられているような思いがあります。

そのような漠然とした不安に対する解決方法の

無さが本質にあって、積極的に死にたいわけでは

ないのです。

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こうすれば、気持ちが楽になれるという具体的な

方法を知ることが出来れば、死を思ったり

しないでしょう。

ですから、問題は、その方法論です。

そのような不安を感じる人たちは、実は鋭敏な

感受性を持っている人たちです。

多くの人たちが、見捨てられた感覚を

感じないために、文化の中に、様々な仕掛けを

張り巡らしている隙間から、そのような真実を

感じ取る人たちなのです。

しかし、そのような鋭敏さは、ナイフのような

ものであって、とてもではありませんが、

余程の使命感や必然性がなければ

使いこなせるものではありません。

それが、どれくらい厳しいことかというと、

大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎さんや

画家の田中一村さんの晩年みたいな

生き方が必要になってしまいます。

そんな辛すぎる生き方は出来ませんから、

死んだ方がましだということになるのかも

知れません。

鋭く繊細な感覚は、自分自身の肉体とも折り合いが

付き難くなりますから、肉体を嫌悪する気持ちが

湧くかも知れませんが、問題の本質は、

精神と肉体的なものをきちんと繋ぐ働きが

弱いことにあります。

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楽になるためには、

幸せを感じられるようになるには、

精神と肉体的なものを繋ぐ働きを

強固なものにすれば良いのです。

ただ、そのようなものは、

元々与えられたものの量に対して

プラスアルファな部分になります。

鋭敏さ故に、与えられたものや、

身近にある様々な趣味やサービスでは

補えないということを意味しますから、

自分で見つけ出さなくてはなりません。

それは、ちょっとしたミラクルです。

しかも、その人だけに分かる奇跡です。

その人だけに分かるという部分がとても

重要であって、他人から提示されたりした時点で

輝きは失せてしまいます。

精神と肉体を繋ぐ力の性質上、何かしらの影響で

他人の手垢が付いてしまい「モノ化」してしまうと

癒しとなるような精神と肉体の接着剤のような作用を

失ってしまいます。

では、やはり自分自身で解決しないといけないのか?

と言われれば、その通りなのですが、

そのプロセスは、全くの孤独とは違います。

僅かながら自分で手を伸ばして、閃きの卵を

掌に抱くような仕草が必要なだけです。

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