イジメの怖さと子供の個性の関係

子供がイジメに合うと、どうしたら良いのか

分からないのが親の本音です。

そのような大変に感じられる時でも、体なり

頭なり気持ちを動かしていた方が良い

理由があります。

もちろんその時の自分の状態に応じて、

適切な動きを選択しないと、事故やトラブルに

なるので、その辺りの判断は重要です。

生きている限り、何かを動かさないと

心はどんどん無に吸い込まれていきます。

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自分がどうして良いのか分からなくなった子供が

無茶をしがちなのは、無に引き込まれそうで

怖くなるからです。

ある程度、大人であれば、行動の選択肢の蓄えが

ありますから、本を読んだリ、好きな映画を

見直したり静かな状態でも自分を動かし続ける

何かを持っています。

言わば非常事態における救命ボート

みたいなものです。

しかし、じっとしていると大人でも感じる

無の気配は長期間に渡ると心を壊してしまいます。

あらゆる動きを止めることによって感じる無の

強烈な印象に飲まれてしまうと、まるで

無であるはずのものが空間のいたるところに

満たされていることに気が付いて

息苦しくなるのです。

特に子供同士のイジメは、本能的に狙った子を

無に追い込んでいきますし、狙われた子も

次第に自分を無に感じるようになります。

状況に絶望して無に隣接した場所にいる状態が

とても危険です。

無と言っても生きている以上、全ての感覚が

止まることはありませんから、無にも何らかの色が

あったり、実は無ではなく何かしら異なるもので

満ちていることに気が付くと、様々な形と

は言えない形が満ちていたりすることに気が付きます。

果てしない無の空間の記述はさておきとして、

大切なことは、急いでそんなところからは

引き返すことです。

手足をばたつかせ、もがいて身体に意識を

安定させなくてはなりません。

これは、様々な意味、段階に分かれますが

子供が暴れる理由に繋がっていくものです。

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大雑把に言えば、無の認識にもサイン別の個性が

あるように、無であるはずの世界に詰まっていた

圧迫感の原因となる形のようなものにも

サイン別の個性があります。

全くの純粋な状態で無の世界を認識することは

不可能ですから、私たちはそれぞれの表現で

絶望に近づいた恐怖を語ります。

私たちはある種の偏りを必死で作り出すことで、

無の世界に吸い込まれないように

自分を仕向けていきます。

教育と言うと、どうしてもこの偏りを嫌いますから、

まだ不安定な子供にとって教育システムが

要求することは、生きようとする流れと

反対のように思えるのです。

ある種の個性が強ければ強い子供ほど、無に接近し

易くなりますし、またそこから遠ざかるために

作り出す偏りも強烈なものがあります。

この偏り自体は、決して悪ではありません。

どう生かすかという問題があるだけです。

これを作ることを諦めると自殺に気持ちが

傾いていきます。

社会の中で表現し難い個性、評価され難い個性も

ありますし、分かり易い形にどうしても上手く

収まれない気質もありますが、バースチャートを

一通り検討すると、意外と力の入れどころが

分かったりすることもあるものです。

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