愛に関する幸せと不幸の分岐点

赤い糸に関しては、書いても書き過ぎること

はありません。

愛があると感じられれば、生きることに

意味が生まれます。

現代の私たちは、個人で意味を

作り出さなければならないとても厳しい

環境に生きています。

社会的な成功は、その意味を創造的に

表現して提示する必要がありますが、

個人的には興味がありません。

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それぞれの人たちの嫉妬や憎悪が

濾過されて澄んだ水になればと願います。

どこまでも澄み切った冷たい水の中を

どこまでも走り続けられたら

私は癒されます。

疾走感の中で無の状態に漂うのは

至福の時間であり、そのような時に

身を置けるのは恩寵でさえあります。

生きている限り何度でも、現実に戻ってきますが、

これは誰でも同じです。

誰にだって誰かといた記憶があるはずです。

愛するということは、

誰かの罪を背負って癒すことを

何度も繰り返すことです。

受身になれば虐待や裏切りや犯罪にすらあいます。

能動的に誰かの罪を癒せば愛です。

誰の罪なら背負えますか。

どんな罪なら祓えますか。

罪を押し付け合うのは争いです。

罪を押し付けるのは苛めです。

苛めで悩んでいるのなら、積極的に

好きな人の罪を背負えば、いわれのない罪の

ゴミ箱にされまん。

あなたに罪を祓って欲しくて、

愛は舞い降りるという言い方も出来ます。

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