面倒でも愛に価値がある理由

現代は、愛について必死にならなくても快適に

生きていける仕組みがいくらでもあります。

恋愛や結婚のリアリティが昔とかなり変化

しているのです。

幸せが自分自身の快適性ということであれば、

愛もただひたすら愉快なものでなくてはいけません。

現実の愛は楽しいことよりも辛いことが多かったり

それなりに厳しい努力が要求される場面が

多々あります。

快適さからは程遠いものです。

愛に取り得があるとすれば、絶対的な熱量が

個人的な快適さとはまるで違います。

例えて言えば春や秋なら屋外でも楽しく暮らせる

かも知れませんが、真冬はそうはいきません。

これは例えであって愛は暖房装置ではありません。

凍えそうな魂は、愛でしか温まりません。

命は愛でしか育ちません。

赤子の命だけではなく、大人の命も同じです。

愛は自分自身の命の中に流れるパワーのやり取りです。

経済的なものは、無色透明ですから、現実的には

どこにでも流れていきますが、愛は特別な力ですから

自分から取り出すことも大変な作業ですし、それを

受け取ってくれる相手も限られています。

普遍的な愛ではなく、誰々さんの個人的な愛となると

本当に限られます。

人気者ならば、その愛の受け取り手は沢山いると

思うかも知れませんが、上記したように、個人的な

愛は自分の中から取り出すことは大変ですから、

その人気者の人は誰にでも個人的な愛は注げません。

愛には熱量があります。

それは単なる快適さにはないものです。

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