幼い時に期待した愛が報われるために必要なこと

sponsored link

愛が全ての扉を開いてくれるような思いは、

幼少期に満たされなかった思いが強い人ほど

抱きがちですが、誤った期待すると

その反動で大きな絶望と同時に間違った

価値観を持つようになります。

未来に大きな期待を寄せるのは、間違った

ことでありませんが、期待する愛の中身が

漠然としている場合、その思いは報われない

傾向が強くなります。

若しくは、報われたと理解出来るまで

かなりの時間が必要になるのです。

漠然とした愛は、様々な経験や知識を通して

自分が感じていることを自分自身で理解

出来るようになりながら、本当はどんな愛を

欲しいのか少しずつ知るプロセスが必要になります。

その途中で、これが答えだ思ったり、求めるものは

この世にはないと思ったりすることもあるかも

知れませんが、簡単に答えを出してはいけません。

自分の中に蓄積した愛がある程度豊かになると

必要な愛に出会えるようになります。

sponsored link

しかし、出会ったからめでたしめでたしでは

ありません。

このようなタイプの人は、なぜ自分が

そのような愛を求めていたのか理解することが

セットになります。

それが理解出来るまでは、相性の良いパートナーと

一緒にいても不満やケンカ、意外な失望が

多かったりします。

書いてしまうとノウハウみたいですが、これは

自然な流れの順番です。

ここまで来ると、与えられる愛のイメージから

少しずつ与える愛のイメージに切り変っていきます。

これは本当に、ほんの少しずつです。

この軌道に乗って来ると、自分に足りない部分を

支えてくれるパートナーの資質とケンカを

していたことに気が付きます。

悲惨な虐待事件を知れば分かるように

愛は誰にでも当然に与えられるものではありません。

愛の内容は、人それぞれです。

必要としている愛も皆、違います。

何より、その愛を与えられる人の事情があります。

人は神様ではありません。

このようなことを書くのは、あなたにとって

必要な愛を与えるためのパートナーの個性の

持つ限界があるということを強調するためです。

この限界が見えてくるまでは、与えてもらっている

ばかりということです。

だから良い悪いということではなく、そのような

パートナーの限界が見えてくることが愛の成長の

証になります。

もらうばかりの愛は絶対に長続きしません。

自分も愛を与えなくてはという思いが自然に

湧いて来るようになるとかなり楽になります。

愛は軽くて温かいものです。

望む愛が得られるのならば、何でもするとか、

捧げると言うようなものではありません。

愛に関してそのような気持ちになることも

あるかも知れませんが、それは愛の本質とは

少し違ったものです。

sponsored link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントの入力は終了しました。
error: Content is protected !!