牡羊座16度は、明らかに、魚座6度みたいに重要なことにコミットしたからです。
牡羊座16度は、させられたと言った方が正確です。
牡羊座16度が、ちょっとでも不真面目な要素や欲があれば、今も、生きていたでしょう。
サビアン度数牡羊座16度は、「日の入りに踊っている妖精たち」。
この度数は、「個としての自我が覚醒し、光を追いかけた結果、境界を超えてしまう」というテーマを持っています。
主な解釈
「させられた」牡羊座16度
自ら望んだわけではなく、強制的に運命に組み込まれたような感覚。個人の意思よりも、より大きな力(運命、使命、時代)に突き動かされる形です。
「欲や不真面目」があれば生き残った。
これは逆説的ですが、牡羊座16度がもつ純粋すぎるコミットメントの危うさを示しています。
自己犠牲や真っ直ぐすぎる正義感が、結果的に自己の命を縮めるような選択に繋がった可能性も。
対比:魚座6度との関係
魚座6度「正装して行進する将校」
こちらは、自己の意志で責任や使命に臨む度数になります。
自らの意思で重要な場所に立つイメージでしょう。
一方、牡羊座16度は、「巻き込まれた/担がれた」印象があり、自らの選択ではなく、
何か大いなる力によってその場に置かれた感覚があります。
命がけの度数という意味でこの度数にある種の烈しさ・潔さを感じ取っています。
「今も生きていた」という表現は、生き残るための処世術(欲や曖昧さ)を拒絶した結果としての死であり、
(あるいは社会的・精神的死)を意味しています。
肉体的が現実から消えてしまうことも含みます。
この度数を持つ人物像
燃えるような理想と使命感を持つがゆえに、適応や妥協が苦手でしょう。
「魂を賭ける瞬間」に出会いやすいかも知れません。
自我の一部が天に召されるような感覚と結びつきやすい傾向があります。
夕陽の火に召されて ―牡羊座16度の命題
世界の終わりを告げる赤い夕陽の下、踊っているのは誰なのか。
それは一人の青年──名前を「妖精ブラウニー」としよう。
彼は何かを望んだのではない。
ただ、彼は、そこに置かれてしまったのだ。
妖精ブラウニーは何の欲もなく、ただ日々を過ごしていた。
彼が特別だったのは、「何も望んでいなかった」ことだ。
その透明な魂は、ある日、業火の意思によって選ばれた。
それは、彼が生まれ持った牡羊座16度の命題──自我を超えて、火の先にある光へと運命づけられた魂の徴
だった。
お前は、自ら選ぶのではない。お前は、選ばれる側だ・・・、このような意思を
妖精ブラウニーに強制した人たちがいた。
それは、親を初めとする周囲の人たちだったかも知れない。
彼の耳には、そう響いた。
だからこそ、彼は歌い踊った。
日の入りに。
この肉体が消えようとも、火に焼かれようとも。
「欲があれば、お前は生き残れた。」
そう告げたのは、魚座6度の将校の霊──かつて自らの意思で戦場を選び、死を超えた者。
将校は言う。
「私は自分の信念で行進した。お前は違う。お前は運命そのものだ。だから、お前は業火から降りられない。」
妖精ブラウニーの心に灯る葛藤。
「だったら……なぜ、踊らなければならない? なぜ、焼かれるとわかっていて、火の中へ?」
答えはない。
踊るしかなかった。
魂が、業火に祈るように。
炎が妖精ブラウニーを包む。
妖精ブラウニーの踊りは、誰の目にも狂気に映る。
けれど、彼の目は澄んでいた。
「生き延びるために、魂を汚すくらいなら、火に還る。」
その言葉を聞いた民衆は、周囲は、狂人と呼んだ。
けれど、一部の者は見ていた。
妖精ブラウニーを好きな人たちは、感じていた。
彼の周囲にだけ、妖精たちが集い、舞っていたことを。
彼は、「日の入りに踊る妖精たち」を見ることができる、唯一の人間だった。
一緒に踊ることが出来る人間だった。
妖精ブラウニーが消えた夜、街の空には火の精霊たちが現れた。
「烈しき魂よ、思いを受け取った。」
そして妖精ブラウニーの火は静かに沈んだ。
それは、理解されず、誰にも模倣できない魂の純度が、世界を一瞬だけ清めた。
人々はやがて忘れる。
だが、彼の魂が灯した火だけは、時を超えて、彼を愛したの記憶に刻まれ続けるだろう。