魚座の優しさは怖い

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魚座は、基本的に自らの意思を内側に

向けていきます。

本質的に求めるものが内側にあるような

気がするのです。

内側と言っても、魚座の誰かと考えた時点で、

身体を持っているので、その行動に何かしら

表されることになります。

内側にも段階がありますが、仮に人と交流

する時に相手の魂的なものと向かい合いたい

という性質を持って生まれた場合、

表面上の肉体を軽視するというか、そんなに

重要であると思えないかも知れません。

体で触れ合うという交流レベルは、常識的には

高い親しさを必要としますが、通常の交流レベルを

魂みたいなものに求めていたら、それほど現実的に

親しくなくても体を通して触れあうことに

抵抗を感じないかも知れないのです。

結果として複数の異性との間でトラブルに

なるかも知れません。

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上記の例は、より内側に向く価値を魂みたいなものに

求めた場合の例え話ですが、魚座は柔軟サインなので

変化することを当然と受け止めますし水のサイン

ですから対象とくっつこうとすることは

自然な流れになります。

より内向きという比較の対象は、山羊座が表すような

現代社会の価値を筆頭に、水瓶座の同じ価値に対する

共感を土台にする繋がりも含みます。

それより内向きとなると、もうほとんど魂や霊みたいな

見えない世界か、現実的だとしても裏社会では

ありませんが、日常から隠れていたり隠されている

部分だったりします。

そのような本質に無意識ながらも迫っていこうとするのです。

それは山羊座的価値から見れば、有形無形の有益なものを

駄目にしていくようなプロセスに見えるはずです。

それは、オスカー・ワイルドの幸福な王子の

ようなものかも知れません。

現実的には、幸福な王子は不幸になります。

その過程で沢山の人が癒されます。

しかし、みすぼらしくなった王子とツバメは

ゴミとして扱われます。

最終的に神様が王子とツバメを天国に迎いいれました。

魚座の本質を現実社会で正しく評価することは

難しいのかも知れません。

癒しと混乱が同時に発生することになります。

普通の感覚では、神様も天国も見えません。

現代の日本で同時に複数の人と肉体関係を

持つことは混乱を招きますが、魚座からすれば

そのような交流が必要なタイミングがたまたま

短い期間に起こってしまっただけかも知れません。

魚座は何にでも同化する性質が基本的にあります。

このことを突き詰めて考えると何でも良い

ということは、何一つとして特定のものは

必要ないということになります。

しかしそれは、外側の価値は必要ないということ

であって、その魚座の人にしか分からない価値を

そこから受け取っているのです。

それを現実的に価値判断することは不可能です。

そういった意味で魚座の求めているものは

現実において誰かの癒しになりますが、それと

同時に社会の輪郭を少しずつ溶かしていきます。

変容した部分を引き継ぐように次の牡羊座が

また新たなスタートを切るのですが、そうやって

考えると泥水を濾過するようなことと

似ているのかも知れません。

この場合は絶え間なく続く魂の濾過であり、

魚座は一つのスパンの最終的なサインです。

水瓶座で同じ価値のネットワークに意義を

見出すことを考えると、そのネットワークで

共有されたようなものに取り掛かった牡羊座がいて

最終的に魚座で天国に持っていける要素だけに

してしまうのかも知れません。

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