太陽サインで考える生まれて来た理由

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なぜ人を殺してはいけないのですかとか、

努力に何の意味があるんですかという質問が

流行した時期がありました。

理想に到達しようとする時に、一気にそこまで

駆け上がろうとしてしんどくなってしまい、

その反動で理想なんていらないと思う様な

酸っぱいブドウ的な発想なのかも知れませんが、

純粋性の行先としては破壊的過ぎます。

その時々のテーマを決めて少しずつ前進して、

頑張った分だけ直ぐに成果が上がれば

分かり易いですが、実際は、理想と現実を

行きつ戻りつしながら理想に近づいていきます。

理想に近づくと言うと大袈裟かも知れませんが、

実際に生きている実感、手応えとして

感じられるものです。

この手応えを生き甲斐と呼ぶならば、無いよりも

あった方が充実した日々を送ることが出来ます。

月から始まり太陽を目指して土星で着地するような

流れがありますが、現実には老いて死ぬ直前まで

努力、挑戦を止めない人たちもいます。

超高齢化社会で、生き甲斐を持たずに寿命が

長くなると、命を持て余す可能性も否定は出来ません。

年齢域では、土星の後は天王星、海王星と続きますが、

それでも意味のある人生を送ろうとするならば、

何度でも太陽サインに意識は戻ってくる

のではないでしょうか。

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アセンダントから入り込む個別の命が太陽サインを

通して地球で再現されるという言い方も出来ます。

チャート上、様々な要素がありますが生き甲斐を

求めるならば、個人の全体性はやはり太陽サインに

意識を傾けるのが正解だと思います。

意識的に働きかけないと目覚めないということは、

太陽サインという理想に意識的にアプローチするまでは、

無意識に何となく生きているとも言えるのです。

どの感受点が一番大切かというのは、その時の状態や

価値観等の問題もありますが、何故、生まれて来たのか

という問いに対しては、太陽サインを通して命を

目覚めさせるためと言えると思うのです。

自発的に取り組むことが無ければ、それは眠りであり、

眠りの延長は死です。

生きている実感がない場合、純粋性が高い人ほど

その意味に引っかかるのかも知れません。

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