第12ハウスの月は、月の示すプライベート
領域の実態を失います。
個人的な感覚に還元すると「どうでもいい」
ということになるのではないでしょうか。
問題は、どうでもいいの主語ですが、
現実に対してどうでもいいということです。
投げやりというわけではなく、物質的なものに
気持ちを投影し難いのです。
思っている時間が華であって、月が実態を持つと
意味を失っていくように感じられるのです。
月は、母や妻を表しますが、第12ハウスに月が
ある男性は厄介です。
自分の気持ちで物事を決めることを避けます。
善悪や理屈、状況を理由に様々な主張をするかも
知れませんが、これらは気持ちの隠れ蓑です。
第12ハウスの月は、人として、現実に
着地するために他の要素を使って、現実に
自分を繋ぎとめることになりますが、
気持ち的には、その具体的な作業、
手続きは興醒めなのです。
現実に対して、弱い、ぶれやすいので、
その影響をパートナーがフォロー
することになります。
第12ハウスの月を持っていたとしても、
生きている人間であれば、様々な社会的手続きが
付いて回ります。
それらを出来るだけ省いてもやはり
接点はあります。
第12ハウスの月は、それらを行うにはかなりの
エネルギーを使って現実に自分を
置かなくてはなりません。
逆に第12ハウスの月を現実的な視点から
見れば、現実から離れて漂う幽霊みたいなもの
かも知れません。
何事においても、現実感の高まり、煩雑さ等が
高まると、魅力を感じられなくなるのです。
これは2次元を愛好するということとかと
同じではありません。
現実から、現実臭さが抜けている
と言った方が正確でしょう。
幽霊みたいなものです。
月自体があらゆる行動の始まりとして、
無意識に働く感受点なのに、
それが更に曖昧に働くのですから
月の境界線は形をキープ出来ません。
これには、もう一つ厄介な問題があって、
境界線があやふやであるということは、
見えないものの影響まで受け易い
ということになります。
霊媒体質とまでは言いませんが、
生きた人間の発するものまで、
反応し易くなります。
その時の集団の空気にも影響されて、
合わないものであれば、居心地が
悪くなり過ぎたり、
気分が悪くなることもありますし、生贄の
山羊ではありませんが、スケープゴート的に
扱われる場合もあります。
どんなにしっかりしているつもりでも、
集中せずに拡散していくので、ある程度
気持ちを固めるようなルーティンワークを
持たないとミスをしたり、付け込まれることが
多くなります。
第12ハウスの月自体が現実から逃げていく
ので、どうしようもない部分がありますが、影響
され易さを意識的に利用するしかありません。
それは、こちら側から影響される集団を
選択することです。
これを自覚的に行えば、脆弱な第12ハウスの
月を守ることが出来ます。
ある程度の人生経験は必要ですが、他の要素を
総動員してよく吟味してから選択し、
それに自分から憑りつくイメージです。