メインになるか、時として揺さぶってくる
ものなのかは、その人にとって月がどれほど
重要なのかによります。
本来なら、月は次第に表向きの重要度が
下がっていきます。
周囲から見れば、分かる性質ですが、あくまで
プライベートな要素であり、会社等でそれを
指摘するならば、セクハラ、パワハラで
アウトです。
ところが、幾つになっても表向きの主要な
人格として振る舞う場合があります。
第10ハウスに月があったり、第7ハウスから
第12ハウスまでの間で、月がMCに一番
近い天体の場合は、月はいつまでも
メインで働きます。
そうでない場合は、特定の状況でその人格が
発動します。
月は本来、どこにあっても性格としての
重要な意味を持ちますが、その人全体を
まとめる力はありません。
どこかに破綻し易い部分を抱えていても、
何とかやっていけるのは、太陽が全体を整えて
表の顔を作ろうとするからです。
ここにMCに一番近い月と冥王星が
コンジャンクションを作っていると、
その太陽の制御を超えて表に出ます。
特に太陽が第1ハウスから第6ハウスにあって、
月が目立つと、本当に社会的な顔の役割まで
入れ替わってしまいます。
融通の利かない人になるのです。
役割が二の次で、素の自分がメインになるので
どんな性格であっても人間関係は
難しくなります。
なぜなら、洋服(太陽)を着ないで、裸(月)で、
堂々と公共の場にいることに本人が
無意識だからです。
本人的には、太陽が束ねる全体的な人格を
感じないわけではありませんが、それが影に
回るのです。
自分をコントロールすることを義務と
思えないので、どうしても公の人間関係の
価値観が理解出来ません。
ですから、状況にはまれるかどうかは、
環境次第です。
恋愛や結婚でも同じで、パートナーがどれだけ
合わせてくれるか、本当の意味で合わせくれるのかに
継続の全てはかかっています。
少なくとも自分自身が役割の価値よりも、
素の自分の価値基準で振る舞っていることへの
自覚の程度が増していかないと、自分から
応用を利かせることは出来ません。
それは、悲しいことのようであり、残念なことにも
思えますが、それだけ幼児期の傷が深いという意味でも
あるので、急に変われるものでもありません。