羽生結弦選手が呟いた自分という不在の
寂しさについて書いています。
羽生結弦選手がインタビューの中で、
ファンに応えることは出来たけれども
僕自身の幸せは、どうなるんだろうという
ニュアンスのことを話していることを
知って、国民栄誉賞をもらったら
余計にそういう思いが加速するかも
知れないと思いました。
愛されるということは、誰かに求められることです。
求められれば、良い意味で応えられるように
それまでの自分から、変わっていきます。
羽生結弦選手でなくても、相思相愛の
関係の中でお互い影響を受け合って
以前の自分とすっかり様変わりする場合もあります。
「あの人の出会って変わった」という形です。
望まれた自分になって幸せなはずなのに、
元の自分を失う寂しさもあります。
女性は、とても共感し易いと思います。
3回生まれ変わったという女性がいました。
結婚するまでの私。
結婚後の私。
東日本大震災で故郷を離れた私。
失われた私への寂しさが、つきまといます。
結婚がどれほど幸福なものであっても
結婚前の私はもういないのです。
この寂しさは、男性は中々分かりません。
羽生結弦選手もソチで金メダルを獲得する前と後。
ピョンチャンオリンピックで連覇する前と後。
国民栄誉賞をもらう前と後。
羽生結弦選手が素晴らし過ぎるから、
目まぐるしく環境が変化していくのですが、
元々の羽生結弦選手から見たら、
どんどん変わっていく自分から
まるで遠いところから見られているような
感じかも知れません。
そのような寂しさは、生きることを
怖くさせるものです。
本当は怖いからこそ、それを打ち消して
もっと幸せになろうと努力します。
この果てしなさから、救ってくれるのが愛です。
愛されようとするほど、人は、自分が
バラバラになる不安に襲われます。
そうなってしまわないように、
誰かに抱きしめてもらう必要があるのです。
それは羽生結弦選手も同じだと思います。
そのような寂しさに鈍感でいられる男性は、
けっこういますが、インタビューで
あのような言葉が出てくる羽生結弦選手は、
とても繊細な人なのだと思います。
羽生結弦選手は、生まれ時間が分からないので
月のハウスは分かりませんが、気になるところです。
このような寂しさは、月があるハウスで
対処法が異なります。