人は、自分の内面で感じていることと
実際に起こっていることを、関連付けて
考えるように出来ています。
たとえそれが自分と関係ないことで
起こる現象であっても自分と上手く
切り離して考えることが出来ません。
様々な場面で感じるプレッシャー等は、
そのような産物です。
親子関係の問題が家庭内暴力、果ては
殺人まで発展する場合も、そのような
様相の延長にあるのではないでしょうか。
母親を自分と切り離すことが難しいのは、
第1ハウスという自分の居場所にたいして
トラインの関係になる第9ハウスに母親の
まなざしがあるからなのですが、このような
構造は幾つかの大きな問題を孕みます。
母親のまなざしに支えれることは、
励ましであり、安心感の源でもありますが、
実際の母親が子供に過度の干渉するような場合は
どこからが母親でどこからがまなざしなのか
判別が付き難くなります。
それでなくても幼少期の頃から、母親のまなざしと
セットで自分の存在を捉えていますから
自分が死にたい時でも、自分が死にたいのか
母親を殺すべきなのか、母親が干渉すれば
するほど、分からなくなります。
第10ハウスに居座る父親は、第1ハウスに
対してスクエアであり、実際の父親と混同されて
対立しても、そこに明確な理由があります。
スクエアという無理解、妨害に対して
怒りを感じているから対決姿勢を取るという
理由があります。
父親とのスクエアな関係は、そのような母親との
曖昧な境界に線引きをしてくれます。
父親が亡くなって、母親と相性が良いばかりに母親に
暴力を働き出す子供もいます。
子供と言っても30歳を超えている場合もあります。
母親から自動車を買い与えてもらって、それで
普段は遊んでいるだけなのですが、優し過ぎる母親に
対して定期的に暴力的になるのです。
このような子供は、別の側面から見ても幾つかの
問題を抱えていますが、基本にあるのは
母親との一体感が疎ましいのではないでしょうか。
母親との相性が良くても、母親に対する暴力が
発生したりするのは、自分と母親の区別が
余計に付き難くなるからかも知れません。
相性が良ければそれでOKとならないのが
親子関係の難しいところです。
特に母親と娘で相性が良過ぎる場合は、適度に
距離を取らないと、お互いどこまでが自分なのか
不確かな感覚に襲われるようです。
もし、そのような時に、間違って子供が死にたいと
感じていたら、生きていたくないと思っていたら
自分ではなく、母親を殺してしまうかも知れません。