第3ハウスタイプの人の自分だけの第10ハウス

これは、主観的な第10ハウスの話です。

自分だけの第10ハウスは、当たり前の

第10ハウスとは違います。

決して代わりになるものではありません。

気持ちを社会的な達成に乗せていくための

個人的な感覚です。

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本来の第10ハウスは、アセンダントから始まる

資質の余計なものを省いて、きちんと地域社会

の部品として収まり切るように仕上げたものです。

役割を担うということは、そういうことです。

だからこそ、地位や権力が発生します。

第3ハウスタイプの主観的な第10ハウスは、

第12ハウスになります。

第3ハウスは、個人的な表現力を身に付ける

場になります。

これは、特別な能力と言うよりも、個人として

なくてはならない部分です。

第1ハウスから第3ハウスまでの要素は

身に付けないと、生存自体に関わります。

存在のセットは、第1ハウスの魂と

第2ハウスの体です。

第3ハウスは、意識や魂が体を通して

表現する能力です。

この第3ハウスを起点にした10番目のハウスが

主観的な第10ハウスです。

これは、本来の第12ハウスです。

基本的なコミュニケーションや知性を育てることは

ある意味、手足が動くような画一的な能力です。

もちろん、現実的には、そのような能力にも

相当なレベルの違いがありますが、それでも

手足が動かすことや知性、コミュニケーション能力は

必須という意味において、一般的なものです。

このような能力と第12ハウスを利用する能力は

実は、非常に似ています。

違いがあるとすれば、第3ハウスの舞台となる

個人の意識や身体は誰もが認知するものですが、

第12ハウスは、無いと思う人にとっては

無いものだからです。

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第3ハウス的なコミュニケーション能力や知性は

なくては困るような当たり前のものであって

社会的な価値は高くはありません。

このような認識自体がおかしいのですが、

幼児教育よりも高等教育の方が価値があるように

思われていることと同じです。

ところが、第3ハウスで身に付けること、

第3ハウスタイプの人が発揮する知性の

本当の価値は、見えない豊かさが無限に詰まっている

第12ハウスにアクセスすることです。

知性の働きから見れば、基本的な知性よりも

第9ハウスが示すような知性が高度に思えるかも

知れませんが、第3ハウスで身に付ける知性には、

「祈り」という存在に対する畏れのような感覚も

含まれているのです。

現代の発達した利便性は、第3ハウスや

第3ハウスタイプの人の価値を社会の序列の中だけで

認識し位置づけ、個人がいざという時に、

本当に困った時に必要な知恵にアクセスするための

基本的な知性の在り方を排除してしまいました。

人生で逆境に陥った時に、学校で学んだことが

役に立たないという認識は、当然です。

批判することではなく、そもそもがそのような

目的ではありません。

第3ハウスタイプの人の独自の第10ハウスが

スピリチュアルなものと言う意味ではなく

個人の豊かさにアクセス出来る知性に

イメージがあるということです。

この真のイメージに辿り着かなければ、

第3ハウスタイプの人は、社会的な位置づけ

そのままの初等教育的なものになります。

ハウスのサイン、天体やアスペクト、

支配星の動きを考慮して自分だけの成功の

イメージを作ると、かなりモチベーションアップに

役立ちます。

頭で考えることと気持ちを一致させ易くなるのです。

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