第5ハウスタイプの人の自分だけの第10ハウス

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これは、主観的な第10ハウスの話です。

自分だけの第10ハウスは、当たり前の

第10ハウスとは違います。

決して代わりになるものではありません。

気持ちを社会的な達成に乗せていくための

個人的な感覚です。

本来の第10ハウスは、アセンダントから始まる

資質の余計なものを省いて、きちんと地域社会

の部品として収まり切るように仕上げたものです。

役割を担うということは、そういうことです。

だからこそ、地位や権力が発生します。

第5ハウスタイプの主観的な第10ハウスは、

第2ハウスになります。

第5ハウスは、「愛はある」と感じられなければ

発動しません。

正確に言えば、「愛なんてない」と思えば

破壊的創造に走ります。

サディスティックな感情が消えないのです。

自己破壊的な衝動、少なくとも日常を土台にした

穏やかで建設的な創造性は、本人がそれに

憧れたとしても生まれ難いのです。

第5ハウスは、その人自身の幻想に支えられた

とても繊細な世界です。

告白するよりも、想っているだけの恋愛の方が、

片思いの方が美しいままでいられるような

お伽噺のような世界です。

「愛はある」と感じていても

望むような愛はないんじゃないかと不安を

抱えていても、第5ハウスは、どこまでも

独りよがりな幻想を美しく育て上げていくことには

変わりありませんが、第5ハウスタイプの人が

主観的な第10ハウスを目指すプロセスを

最後までやり抜くには、「愛はある」と

感じられなければ第5ハウスを出られません。

次のステップに入れないのです。

実際の恋愛のコミュニケーションを身に付ける

3番目や恋愛の情感を育む4番目の深い結び付きを

恐れるのです。

第5ハウスタイプの人は、愛があると

感じられるかどうかで、その後の展開が

大きく異なります。

「愛がある」と感じられる第5ハウスタイプの人の

主観的な第10ハウスである第2ハウスは、

愛する人を守るという意味になります。

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そのための社会的成功であり、

経済的豊かさであったりするのです。

愛があるのかどうか分からない場合、

愛に実感が持てない場合、

愛なんて無いと思う場合、

自覚の種類は様々で、厳密には、それぞれに

対応しますが、主観的な第10ハウスである

第2ハウスの防衛本能は、

自分の幼児的依存心を守ることに向けられたり、

必死で守り通して来た幻想を防衛することに

使われたりします。

幼児的依存心も自分を支える幻想もある段階では

なくてはならないものですが、それらは、

何かを生み出す力がありません。

第5ハウスは、素晴らしいスタート地点ですが、

その人が抱えている気持ちで、実際に辿り着く場所が

あまりにも異なるのです。

もちろん、プロセスの途中で「愛はある」と

感じる場合もあります。

本質を考慮すれば、「愛はある」という実感が

得られなければ、主観的な第10ハウスには、

辿り着けないと言った方が正解かも知れません。

なぜなら、荒漠とした世界に一人で彷徨うような

状態を、第10ハウスと言うのは、

おかしなことだからです。

第5ハウスタイプの人の主観的な第10ハウスは、

愛する人を守る場所です。

この結論を譲ってしまえば、第5ハウスタイプの人に

失礼になります。

ハウスのサイン、天体やアスペクト、

支配星の動きを考慮して自分だけの成功の

イメージを作ると、モチベーションアップに

役立ちます。

どのように愛する人を守るのか、そこに

第5ハウスタイプの人の創造性が発揮されます。

個性が出るのです。

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