人間関係で損ばかりする人が与えられた愛

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人間関係で損ばかりする人が与えられた愛に

付いて書いています。

暴力を用いて虐待することは非常に分かり易い

パターンです。

それが言葉の暴力であっても同じです。

人間関係で損ばかりする人が与えられた愛は

もっと巧妙な暴力性を孕んだものです。

まず過保護な愛情を示します。

必要性のない愛を、必要で無い時に

たっぷりと与えます。

その中には、本当に有り難い時もあるでしょう。

しかし、それが曲者です。

私を愛してくれた良い母親と思い込みます。

ところが、不思議なタイミングで酷くあなたを

傷付けます。

気持ちの流れを考えたら、どうにも理解出来ない

言動を行うのです。

(これを収穫と呼びます。意味は後で分かります。)

それを堂々と行うのか、影で巧妙に行うのか、

第三者を使って堂々と行わせるのか、

その手段は、愛を与える側の憶病さ、大胆さと言った

性格やあなたのことをどのように評価しているかで

(つまり舐めているのか、どの程度用心しているのか)

行動パターンは変化します。

ところが、普段は優しいので(過剰であったり、本当の

普通の優しさと比べると違和感を感じるような

優しさ)、愛を与えられる側の子供は、その時は、

痛みや悔しさを感じつつも、最後は忘れようとします。

そうすれば普段の母親に戻るからです。

子供も過剰や優しさに慣れてしまい、それは

それで楽な部分もありますから、謎めいた

支配的な愛の中に取り込まれて動けなく

なっていきます。

このような行動パターンの目的は、愛を与える側が、

ある特定の感情を引き出して味わうためです。

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子供は生贄のようにな存在です。

このような時に与えられる愛は、美味しい肉牛を

育てることと似ています。

良い飼料を与えたり、クラシックを聞かせたり

しますが、それは良い霜降り肉にするため

だったりするのと同じです。

本当の意味で愛しているから行われる純粋な

優しさと似て非なるところがありますが、

なかなか見分けが付きません。

人間関係で損ばかりする人が与えられた愛は、

このようなタイプの人が与える愛の中の幾つかの

種類のものです。

「人間関係で損ばかりする人が与えられた愛」という

タイトルにしましたが、このようなパターンの愛で

育てられた人の中には、常に加害者側に回る人も

いますし、このような愛に育てられて散々被害に

遭っていたことに気がついて攻撃側に回る人もいます。

しかし、このような愛情の世界は不毛ですから、

抜け出すべき世界です。

攻撃する側に回っても、被害を受ける側になっても

意味がありません。

その最大の理由は、本当の意味では何も育たない

からです。

そのような愛を行う人の狙いは、ある種の

快楽でしょう。

そのような行動パターンの中で狙った人間

(そのほとんどは子供)から、特定の感情を引き出して

安息を感じるのでしょうが、すぐに気持ちに渇きを

覚えて同じことを繰り返します。

そのような自分から逃れて、様々な精神修養を

行う活動に身を投じる人もいますが、やはり同じことを

繰り返しています。

このような愛に出口はありません。

そもそも愛と呼んで良いのかも謎です。

名目上や意識の上では、愛や躾の下に行われています。

そして、多くの子供がどこか心病んでしまいます。

時折、死ぬ子供もいます。

このような愛の中で育てられた人は、対人関係の時に

気を遣うポイントが変なのです。

簡単に言えば支配されている人が支配者の様子を

窺う時の視点なのです。

それに気が付いた悪意の第三者は、このような

タイプの人を徹底的に利用します。

利用の仕方は様々ですが、少なくとも不愉快な

ものばかりです。

このような関係性から離脱しない限り、あらゆる

幸運に対するアプローチ方法も報われません。

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