救済の正体、神の正体

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どうしたら救われるのか、救済の正体は

何なのか、神の正体は何?という視点に

付いて書いています。

憎悪や絶望の根本にあるもの

という記事を書いたので、

それとのバランスでもあります。

神は自分の中に取り込める善ですが、

個人の中に取り込める善はほんの僅かです。

救済は、それまでの状態に新たに

加えられる幸福への理解です。

それまで絶望したり、憎悪に捉われて

いたりしても、そこにささやかでも

新しい幸せが加わって、きちんと

繋がることが救済です。

これが愛なんだ。

これが幸せなんだ。

こんなことも楽しめるんだ。

と少しずつ加わって、それぞれが

繋がって、それまで抱えていた

嫉妬、憎悪、絶望を上回っていった時に

「愛はある」と思えます。

救済が訪れます。

違った角度から観れば、小さな幸せや

楽しみを情報として知るだけではなく

本当の自分と繋がることで、理解出来る、

つまり救済としての働きが生まれます。

嬉しいなぁ。

楽しいなぁ。

あったかいなぁ。

と感じるようなことを少しずつ重ね合わせて

いったものが救済の正体です。

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どこかで勢いよく幸せにくるっと顔が向く

瞬間が来るまでは、絶望や憎悪に顔が

向いているかも知れません。

そのような状態だと漠然とした不安が

よぎるでしょう。

幸せに顔が向くとニコニコ顔になります。

それでも、小さな幸せと繋がり続けていれば

大丈夫です。

それら一つ一つが救済の正体です。

一つ一つは頼り無いちっぽけなものに

思えてもそれらは集まって神になりますから

決して馬鹿には出来ません。

時間が経てば経つほど、小さな楽しみや

温かさが神様の欠片だったと気が付きます。

人の器は小さいですから頑張っても一度に

沢山神様を感じることは出来ません。

大きな感動を感じる時は、神様に沢山

触れている状態です。

それでも神全体に触れられるわけでは

ありません。

もしそのような存在に一度に触れたら

私たちは吹き飛んでしまうでしょうし、

そこまで行かなくても忘我のような

状態になります。

様々な感動経験をして蓄積していく良い

イメージはその人の神様です。

そう言った意味では私たちは自分の神様を

自分で作り続けています。

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