冥王星には性的なエネルギーが含まれます。
ハウス別記事にしようかとも思いましたは、
ハウスは場所であり、そこにそのような
エネルギーが表現される内容を書くのは
具体的過ぎてはばかられるので中止です。
その中で第12ハウスだけは特殊です。
第12ハウスは特別な感情の圧縮された
パワーを注ぎ込まなければ遠い存在です。
まるで離人症のような世界観になります。
性的なエネルギーも例外ではありません。
そのような欲求と現実の間には、内容は
それぞれですが何か異物がサンドイッチ
されていて性的なエネルギーが直接的な
ものとして感じられずに、何らかの形で
昇華された状態で内面に存在します。
美しく言えば芸術でしょう。
性的なエネルギーの上澄みを好みに切り取って
表現されたものに近くなります。
実際にそのような芸術的表現を愛するでしょう。
それを裏返せば、現実の性的なエネルギーに
生々しさを感じてしまうということです。
もちろん、だからと言って実際の関係が
出来ないというような問題とは別になりますが、
本来、第12ハウスに冥王星があるタイプの人が
求めるものとは異なっています。
望むもの全ては霧の彼方にあるとも言えます。
現実の中で言えば一瞬の印象に欲するイメージを
見出しますが、そのようなものが保存出来る
わけではありません。
食欲、性欲、睡眠欲は人間の基本的な三大欲求
になりますが、その中の性的なエネルギーが
そのような曖昧な場合は現実の異性に対して
普通の気持ちを抱き難くなります。
それはアブノーマルという意味ではなく
必要性の有無です。
実際の異性関係は非常に煩雑で面倒な部分が
多々ありますから、それを乗り越えてまで
実際に付き合うだけのものが、現実の深い関係の
中にどれだけ見出せるかと言えば、このタイプ
の人には、曖昧なところがあるのです。
それでいながら激しい性的なエネルギーが
内臓されていますから、何かしら昇華方法を
見出さなければなりません。
性的なエネルギーを管理することで結婚制度は
成り立つ部分がありますが、そのような側面とも
今一つしっくりと噛み合わないことになります。
そうなると冥王星の常で、非常に潔癖になるか
性的に放縦になるのか極端な別れ方をします。
それでもこのタイプの人が本当に求めているものは
遥か彼方の遠いイメージです。
そのようなものを表現した画家の作品に出会えると
感動して買い求めるでしょう。
このようなタイプの人のプロのカメラマンに
お会いしたことはありませんが、そのような美を
求めてシャッターを切る人もいるかも知れません。
例えば性的なエネルギーが昇華された美を
宝物のように思って、とことん探しても
ただ道の上という現実的な結末もあります。
性的なエネルギーなのに交渉を持ち過ぎても
内臓の詰まった皮袋という結論に至る
かも知れません。
そもそも繰り返される日常の中で第12ハウスの
冥王星が求めるような美は存在出来ません。
結果的に儚いものになります。
この儚さを前向きに捉えられなければ
第12ハウスの冥王星は潜在的に途方もない
絶望を抱えています。