愛と絶望の関係

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不適切な愛情表現というものはあっても

愛に正解というものはありません。

誰かにとっては理想的な愛情であっても

違う人には受け入れらないものである

こともあります。

だからと言ってその愛が間違いであるとは

言えないのです。

様々なことを考慮してその人の立場で

その愛について考えると、誰も何一つ否定する

ことは出来ないでしょう。

もちろん、その愛が誰かを傷つけたりすれば

社会的な調整を受けることになりますが、本来は

それぞれの個性を成長させる数だけの愛があります。

中には他人の個性を許容出来ずに理不尽な攻撃を

仕掛ける人もいますが、道徳的には許される

行為ではありません。

自分に自信が持てずに理想的な愛を探し歩くような

タイプの人は、いつまでも愛が深まりません。

言い方を変えれば、自分自身の持っている愛の形を

求め続けていくことで道はどこまでも続いていく

ということです。

酷い言い方に思えるかも知れませんが、愛について

絶望する人はその人にとって正しくない愛を

求め続けているタイプの人です。

愛に対する勘違いは決して自己責任ではありませんが、

もし自分自身が求めるべき愛と違っていれば

最終的に絶望するのは自分です。

理由はどうであれ、どこかで自分が求めるべき愛に

方向転換しなければなりません。

愛があれば必要な様々な豊かさは自然とついて来ます。

少なくとも絶望したりすることはありません。

愛について間違うことはあっても絶望には至りません。

どんなに悲しくても絶望にはなりません。

本当に自分が反応出来る愛は誰にでもあります。

どんな愛を持っているのかは、本当に人それぞれです。

「愛はある」という意味はすでに愛を持っている

ということでもあります。

それを求め続けることで現実に愛は成就するように

なっていますから、本当の自分の愛と誰かからに

押し付けられた愛や正しい愛を間違わないことは

とても大切です。

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