報われない努力や報われない愛があります。
その報われない内容は現実の結果なのか
スピリチュアルなものかで捉え方は大きく
変わるかも知れません。
私たちが完全な社会に生きているわけでは
ないことは多くの人が実感しています。
事実を詳細に知れば知るほどこの世は
地獄と等しいくらい酷い世界です。
それも多くの人は薄々気が付いていて
闇がありそうなところには近づきません。
普通の人にとって地獄の世界に思えるような
社会にもちゃんと人は暮らしています。
そしてそこで幸福に暮らしている人たちもいます。
報われない努力の一つはその人に合っていない
世界で生きることです。
誰であっても本当は自分自身が豊かな人生を
送れるはずであると感じています。
ところが現実には様々な価値観が同じ空間に
混在しているだけでなく移動しています。
池袋暴走事件で亡くなった母子と残された
夫、父親である男性はまさにそのような存在と
接触してしまいました。
もちろん、この家族に落ち度はありません。
現在は21世紀であり、江戸時代ではありませんが
やはり同じことは続いています。
これはスピリチュアル的には何を意味するかと言うと
貧しい世界を真に豊かなものにするために
愛を学び増やすということです。
力があれば、権力があれば、それに応じて何でも
出来るという現象は大なり小なり日本全国で
起こっています。
報道されるものもあればSNS止まりのものもあります。
巧妙に握り潰されるものもあれば、娘に性的虐待に
事実が確認されても無罪になるような社会的救済が
不能ということもあります。
これが報われない世界です。
勇気を持って告発しても消される人や業者も
沢山います。
報われない努力や報われない愛は山ほどあります。
無気力になれば楽になれます。
そしてますます報われないことになります。
このような側面を無限に抱えている社会は
同時に沢山の愛と奇跡も内包しています。
そしてある一定の均衡を保っていますが、
時に暗黒に包まれたり、持ち直したりを
繰り返しながら、スピリチュアルな愛を発現させる
機会を作り出してきました。
それは何とか本来の豊かさを取り戻すための愛ですが、
現象面もそっくりそのまま全部、いわゆる天国の
ような状態にひっくり返すのは無理でしょう。
なぜならそもそも地球はそのような霊的な場では
ないからです。
しかしだからこそスピリチュアル的な意味の愛を
実践する機会に恵まれています。
個人的愛や努力が報われる報われないとは
ちょっと次元が異なるのです。
個人的なことであれば幾つか書きましたが
自分自身のホロスコープ(つまり個人的器)の
第1ハウスから第12ハウスのそれぞれの境界線を
適切に調整し続けるしかありません。
バランスを崩せばどんなに優れた人でも、簡単に
不幸になれますし、地獄であっても自分なりに
保っていれば案外幸福なものです。
そのような中で何とか大きく流れを変えるために
特に第12ハウスの境界線の引き直して異なる円環に
移動するのもありです。
そのような時でも少しずつ移動するか、十分な蓄積を
用意することが大切です。