不倫を完全否定しない理由

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不倫は沢山の人を傷付けるので基本的には

悪いことですが、完全には否定していません。

そして何よりも本人自身もそれなりの

様々なコストを支払うことになります。

それでもそこに何か価値があるとすれば、

甘えを満たすことです。

それ以外の理由で、ただ遊び半分で他人の

家庭を破壊すると一生恨まれます。

例外的に不倫を完全否定しないのは、

人は満たされない甘えを抱えたまま意思の

力だけで生きることに限界があるからです。

もしあれも駄目、これも駄目で完全な自助努力

だけで何とかしようとした場合、遅かれ早かれ

死を選択するでしょう。

若しくは他の人に死をもたらすかも知れません。

それは自分の努力だけでは満たすことが出来ない

甘えは、極端に真っ直ぐな理想や希望を心に

思い描くからです。

そのような精神状態が長期化すると次第に心は

現実から引き剥がされていきます。

意思の力では踏み留まることが出来なくなるのです。

それは死の世界に引き込まれることであり

悪い意味での死に心を乗っ取られることでもあります。

表面的強さとは裏腹に心の中では少しずつ何かが

崩れていく音が虚しく響き続けます。

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満たされない甘えは、破壊衝動を作ります。

その対象が自分なのか他人なのかはまた別です。

そのような成分があるからこそ不倫をする人は

不倫を正当化出来るのでしょう。

もちろん他人の家庭を破壊することも罪です。

そのような罪がありながらも、お互い満たされない

甘えを満たし合う関係に溺れる場合もあることを

完全に否定することは現実的な意味で無理

というのが理由です。

愛に期待しなくなったらその人は生きながら

腐っていきます。

「これが愛なの?」と自問自答するような

愛であっても愛はないと結論付けてしまう

ことから生じる自他への様々な影響を

考えると断罪は出来ません。

様々な弱さを抱えながらも生きていく

セーフティーネットかも知れません。

そうは言っても不倫という選択をせずに

自分の何かを引き換えにしながら甘えるという

方法もあります。

これはこれで場合によってはかなり悲惨と言うか

凄惨なこともありますからお勧めするという

ことでもありません。

かなり上手くいったとしても愛情乞食のような

立場に身を置く可能性もありますし、自分では

尽くしているつもりでも足元を見られるような

人間関係になるかも知れません。

幼児的な依存心から生まれる甘えを満たすという

問題に答えはありません。

それでも可能であれば何かを支払いながら

甘えを少しずつ満たす道を選択出来たら

いつの日か甘えに縛られない自由が手に入ります。

そこにはかけるべき誇りもあります。

この道を選択すると一度必ず死ぬことになります。

どうあがいても幼児的依存心から生じる甘えを

自分だけで何とかすることは不可能だからです。

しかし一度死ぬからこそどこかで蘇る機会が

訪れます。

そこで本当のプライドに目覚めます。

不倫をする正当化する気持ちは本当の自分を

生きていません。

誰かのために戦って傷付いたままです。

自分のために戦える(生きられる)ようになれば

何かが変わります。

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