運勢と幸福の関係という記事を書きましたが、
一般的に悪い運勢と言われる時期は、その人の
価値観が変わるタイミングです。
これが分かっていればそれほど怖くありません。
本当の自分を生きようとしている人にとっては
より自分らしく生きられるように進化する
タイミングになります。
それまでの価値観が変わるタイミングは
自分に正直になれない場合は、ただの崩壊
ですから怖く感じられます。
例えばは学年が変わる時にあるクラス替えや
小学校から中学校、高校、大学に進学する時、
就職等々、価値観はどんどん変化します。
交際する相手によっても価値観は変わるでしょう。
失恋しても変わるかも知れません。
その全てはより自分らしくなるプロセスです。
あらゆる変化を自分らしくなる過程に出来ないことを
不運と言います。
このように言うと不運をつかまないために努力を
しようとする人がいますが、そのような頑張り屋さんが
最も不運をつかみます。
と言う記事に「自分の個性が生きる環境や相手を
選択することが大切です。」と書きました。
幸運と不運の違いは努力の量ではなく選択です。
その人が嫌いなことを調べてそれを徹底的に
強要したらどうなるか、という内容の映画が
あります。
自分の個性が生かされない人や環境で徹底的に
頑張ることは、その映画でやっていることを
自分で自分にしているのです。
このような努力の仕方は無理解、不寛容な親に
育てられた人がやりがちです。
「自分を育て直す」というカテゴリーや
「親子問題」、「自殺と心の痛み」、「心の傷」
等々作っているのは、自分への認識が変わらないと
どんなに詳細にホロスコープを作って読んでも
何も解決しないからです。
ホロスコープを読むという行為は、生まれ時間が
正確なホロスコープであったとしても、単なる
仮説に過ぎません。
ホロスコープから理解出来る内容を全て抜き出して
一冊の本にしても、その人の伝記にならないどころか
その人自身を表すわけでもありません。
あくまでもホロスコープを通して作った仮説です。
真っ暗な海で船が座礁しないように灯台の灯りを
目印にして航行するように、どのようにしたら
良いか分からない時(真っ暗な海)で沈没しないように
絶望せずに幸せに生きるための仮説(灯台の灯り)です。
仮説は、自分で考えることがとても大切です。
自分で考えれば何かしら努力した時に得られるものは
何倍にもなります。
もしどんなに幸運な状態であっても誰かの言いなりな
状態を続けていたらどうでしょうか。
快適かも知れませんが、何をやってもそれほど感情は
動きません。
感動が少ないということです。
その人の生きた実感は自分らしい手段と努力で
動いた感情の量です。
ある意味、収入ですら同じです。
量がある一定水準を超える度に質が変化します。
それは価値観が変わるということです。
離婚は一般的に不運として扱われますが、誰かと
結婚しようと感情が動いたからこそ二人で暮らして
その結果次第に価値観が変わって離婚します。
それは二人が一緒に暮らすことで本当の自分に
気が付くからです。
より自分らしい自分に気が付くからです。
決して不運ではありません。
これは仕事の選択でも同じです。
もし不運として作用するならば、自分らしくなることを
恐れているからです。
怖いものは怖いと思われる方もいるでしょう。
その通りです。
本当の幸福は恐ろしいものです。
自分を偽って誰かの言いなりになっている方が
怖くありません。
この恐怖心が不運を作ります。
その結果、本当は嫌なものにしがみついたりして
人間関係、時間の使い方自分の努力、生き方、夢、
仕事等々あらゆる面で当たり前のように裏切られます。
一度に全てが変わる必要はありません。
少しだけ自分らしい方向に感情が動けば、人は
かなり手応えや生き甲斐、満足感と言った
肯定的な感情を味わうことが出来ます。
このようなスタンスでホロスコープを利用すると
素晴らしい仮説を作ることが出来ます。
自分の性格や運勢を俯瞰することが出来るからです。
不運は、他人に裏切られるのではなく、自分で
自分を裏切り続けた結果です。
それを回避するには自分で仮説を立てる力が
必要になります。
それは様々な角度から考える力です。
それを自分らしく行う方法をホロスコープを通して
知るためには、Tスクエアという複合アスペクトを
利用します。
もちろん、このアスペクトがない人もいます。
そしたら、何を足せばTスクエアになるかを
考えます。
それはまるでリリスのような計算上のポイントです。
自分自身で架空の感受点を作るのです。
自分で作るのですから、好きな名前を付けて下さい。
そしてその架空の感受点があるような努力をして下さい。
架空と言ってもTスクエアになるように作りますから
サイン(星座)も度数もハウスもアスペクトもあります。
と言うことは一定の性質を持つキャラクターを
自分自身の中に一つ持つということです。