上記二つのリンク記事は、月星座視点で
書かれたものです。
月星座側から生きることや死にたい気持ちを
考えると、月星座の180度反対の価値
(星座の度数)に飲み込まれ境界線を失い
恐怖のどん底の中でパニックを起こすか、
落差の無い穏やかな眠りの中でいつまでも
幼児の状態に留まるのかどちらかです。
ネガティブな表現に感じると思いますが、
これは悪いことではありません。
月星座が恐怖心に包まれる世界は、実は
生命エネルギーをチャージしています。
本当に死を強く感じると生きたいと願うのは、
境界線の混乱という死の雰囲気は、本能に関する
エネルギーの補充が行われます。
それは本能そのものにとっては「起きて」と
呼ばれているだけです。
では、本当の死は?と言うと存在のスライドに
過ぎません。
何故生きるのかとか、自発的に死んだらどうなるとか
という問題の答えは様々な相があって、一つでは
ありません。
これが大学入試と同じで、様々なレベル、様々な分野の
学びの機会があってそれをどのように選択していくか
という多様な内容を含みます。
ただ死ぬとか生きるとか2択ではありません。
死んでしまえば次元が違うので、生きている前提で
書くと一見、月星座に関する出口の無い問題の救いは、
太陽星座にあります。
月星座は、ホロスコープ全体の位置づけで見れば
個人的にエネルギーが集まる場所です。
だから良いコンディションが保たれていないと
辛く感じます。
人は、マシーンではありません。
エネルギーと言っても、それは身体的な栄養が
生存に必要なのは物理的に当たり前であって
個人的には金星を通して得るような喜びが
エネルギーになります。
金星は日常生活の中で腐りそうなエネルギーを
常にフレッシュな状態にするように海王星の
影響を受けたりしています。
月(星座)は、色々と整った上で安らぎます。
それが役割であってエネルギーが蓄えられたから
と言って火星のようにやたらと攻撃したりしません。
月(星座)は、自分自身を感じない時がもっとも
平和で満たされている時です。
生き辛いと月(星座)の存在を強く感じます。
ここがなかなか満たされないと生きるべきか
死ぬべきか問題になります。
太陽星座の価値は、実現しようがしまいが
辛い時は関係ありません。
それどころではないからです。
しかし、月星座が辛い時でも太陽星座の価値が
月星座のエネルギーが報われるのは太陽星座の
価値です。
月星座の価値は、太陽星座の価値と上手く繋がると
それが偶然であっても「もっと生きたい」と感じます。
ただ生き辛い時期は、この感情は長続きし難いですし、
具体的な希望よりも救済のような幻想として
感じられます。
それでも月星座が本当に元気になってくると
自然とネガティブな状態自体がつまらなくなり
自然と月に蓄えられたエネルギーの出口を
探し始めます。
それが太陽星座の価値です。
月星座が満たされてくると最も生き辛い理由は、
「生き辛さ」から「退屈」になります。
本当の意味で月星座を「退屈」さから解放してくれるのが
太陽星座です。
占星術的には、ハウスからアスペクト、度数等々
全てを含んで考えます。