京都アニメーション放火殺人事件は運命ではない理由

sponsored link

私たちの身体は、魂が入れるための入れ物です。

魂に価値を認めるならば身体は、宮とも社とも

言って良いかも知れません。

魂にとって居心地の良いように手入れするだけでなく

その魂に相応しい外観、つまり容姿になるように

気を配っても配り過ぎることはないかも知れません。

京都アニメーション放火殺人事件を起こした

青葉容疑者が医師たちの懸命の治療により

一命をとりとめ逮捕の運びになったようですが、

本当の動機を解明することは難しいでしょう。

魂の質というものは、人それぞれかなり異なる

ものであって内界に深く根差したものです。

それはまさしく霊の世界でありその内容を脆弱な人格が

その時代にあった善悪のフィルターの役割を

果たし切れない場合は、説明不可能な言動を行います。

どんな内界に魂があったとしても適切に人格が

働いていれば放火はしませんし、仮に地獄のような

世界を漂っていたとしてもそれを芸術的な表現に

置き替える場合もあります。

人格が適切に機能せずに内界がそのまま現実に

雪崩れ込む状態は説明不可能であり、ただその人の

魂が住む世界の地獄のような部分が何かのきっかけで

垂れ流されただけです。

これは決して運命ではありません。

京都アニメーション放火殺人事件で亡くなった方々は

運命で亡くなったわけではないのです。

様々な魂があって色々な世界に生きています。

身体だけは何かの縁で地球に住んでいますが、

共通部分はそこだけです。

sponsored link

それぞれの内界は肉眼で見ることは出来ませんが

何となく感じるものです。

どのような内界に魂があったとしても人格が

介在することで現実にその魂の世界がそのまま

流れ入って来ることはないのですが、何らかの理由で

その魂の住む世界がそのまま無分別に流れる状態、

結界が弱くなったような状況、又は個人のそのような

状態が継続すると京都アニメーション放火殺人事件の

ようなことが起こります。

人格が健全に働いていれば自分自身の身体が

損なわれるような行動はしないでしょうし、

恐ろしい内界に生きていても秘密裏にそれを

現実に展開する人間も多くいます。

それは人格が機能しているからです。

悪い形ですが、分別が働いています。

魂の世界と現実が悪い意味で混同しないためには

私たちの日常生活の中に幾重にも精神的な結界が

本来は必要です。

青葉容疑者は、このような形になりましたが

普通の人は自分自身を殺めてしまいます。

それはそれで魂が内界を見失いますから

大変なことです。

そのような決断をして魂が自分自身の内界を

見失わないこともあるかも知れませんがそれは

例外中の例外でしょう。

京都アニメーション放火殺人事件のようなことを

2度と起こさせないためには個人や社会が

多種多様な精神面での安全装置になり得る仕掛けを

持つことが必要です。

私たちのほとんどは、何らかの安全装置に引っかかって

いるものです。

しかも必ず複数に繋がっています。

青葉容疑者は、魂の世界が厄介だっただけではなく

どのような安全装置も機能していないような状況に

あったのでしょう。

そして自分自身の魂の世界を京都アニメーションで

解放したのでしょう。

そう言った理由で京都アニメーション放火殺人事件の

被害者の方々が亡くなったのは運命ではありません。

霊的な安全装置が利かなくなると第2次世界大戦の

ような状況になります。

あのような業火に巻き込まれれば特殊な守護が

働かない限り防ぎようがありません。

これは個人の運勢とは別問題です。

運を良くするホロスコープの読み方という記事を

書きましたが、これは自分が住んでいる魂の世界を

現実に生かす視点であって魂の成長自体は一生かけて

頑張ってほんの少しだと思います。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

sponsored link
コメントの入力は終了しました。
error: Content is protected !!