どんなホロスコープにも平等に可能性がある理由

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ホロスコープを通して知り得ることは、言葉で

理解しますから平面的になります。

昨日、太陽星座が牡羊座だった人が明日、山羊座に

なっているということはあり得ません。

もしそんなことが起こるならば亡くなって

生まれ変わった場合ですが、そうなると地球では

特定の個人の同一性は失われています。

私たちはホロスコープに意味を求めますが、

その意味を求める意識は、どうしても平面なのです。

ところが実際の私たちは一度のいくつかの在り方で

存在しています。

今日の魚座の満月のように第2ハウス(身体、自己保存)と

第8ハウス(第2ハウスと反対の意味)というような極端な

ことばかりではありません。

一人の人間に対してその人を評価したり、接する人の数だけ

違って見えますし、ホロスコープで月を考える場合のように

子供、妻、母親といったように様々な側面があります。

つまり立体的なのです。

このようなことを書いている私の意識も平面的です。

意識は、どう足掻いてもその個性に沿って真っ直ぐにしか

そのエネルギーを照射することしか出来ません。

ですから自分自身の水星の働きを知ることは大切です。

それは制限のための制限を意味したり、制限を

使いこなすことで得られる個人の自由を教えて

くれるからです。

どれだけ一生懸命何かを考えても自分自身の思考の

生理から離れられません。

結果的に偏りが大きくなりますから浄化しないと

前に進めなくなったり大きなトラブルになります。

当たり前ですが、ネイタルのホロスコープは一生

変わりません。

そのことにがっかりする人もけっこういらっしゃいます。

生まれ時間が正しければ自分自身のことを詳細に

知ることは出来ますが、それは内心自分が感じていた

ことの追認で終わることがほとんどです。

どんなに運命や資質に満足出来なくても別人になれる

わけではありません。

自分自身の可能性探しに必死なればなるほど一つの

ハウスや感受点に執着心を持ってしまいます。

そのような探求心は、間違っています。

それぞれの天体や感受点に関する内容は、結論ではなく

扉です。

ホロスコープに書いてあることは扉のしるしです。

それを開けてその内容だけでなく自分自身のホロスコープ

全体を探索することに価値があります。

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ですからどの扉から入っても構わないのです。

ただ探索したい内容によっては、月から入った方が

労力や手間が少なくて済む内容もありますし、その他の

天体や感受点から入った方が効率的なだけです。

しかし実際は、全て天体や感受点はそれぞれの入り口から

入る通路によって全体的に繋がっています。

恋愛に関して金星を見たとしてもそのような関わりを

他の全ての天体や感受点も何かしら持っているということです。

ですから太陽星座だけで仕事運、恋愛運、健康運とかを

考えることも出来ます。

それは月もその他の天体や感受点も同じです。

しかし意識で深く探索してトランジットやソーラーアークまで

含めて考えても意識は意識を向けた方向だけを見ながら

前に進むしかありません。

ですから前と思って信じて頑張っていたのに実は幸運とは

逆方向だったということは頻繁にあります。

意識のこのような性質を補うために同じ場所に止まって

立体的に考えるのがタロットカードや易といったものです。

少し意識を手放して感じることに専念するのです。

ですから好い加減に何も感応しないままそれらを行っても

まったく意味がありません。

何かを感じた時や感じ易い状況、状態を準備しながら待つ

必要があります。

このような占いはオートメーションのように右から左に

次から次へと行うと出鱈目になります。

ちゃんとどこかの感覚に引っかかりを感じながら

自由にならないといけません。

それは宇宙服を着て宇宙を散歩する時に命綱を付けておく

ようなものです。

命綱ではなく自分自身が存在する座標をもっと洗練された

状態で把握するのもありですが、それだけでは本当に

ピンチになったら自力で帰れないでしょう。

トランジットやソーラーアークの影響込みでもネイタルの

ホロスコープは、その人の扉に過ぎません。

そこから宇宙意識、潜在意識、スピリチュアルな世界等々

名前は何でも構いませんが、入っていって必要なもの

欲しいものや体験を得ることが生きることです。

このブログ的には、一見、大変そうな扉を持つ人のために

どうすればより良い探索が出来るかを書いています。

扉を開けてその中に入ってしまえば繋がっている世界は

みんな同じとも言えます。

平等です。

ただ表現仕切れないくらい広い世界でしかも多層的なので

自分自身が求めるものに対して向かっていかないと

意味不明になります。

それでもそのような世界から感覚だけを持ち帰って

自分自身の能力や様々な機会を通して現実の生活の中で

再現することは同じです。

持っている資産によって現実に用意出来る材料の高級度合いは

異なりますが、どんな材料であれ感覚を再現した内容は

ある意味平等です。

分かり易い例が映画作りです。

低予算でも高評価される作品もあります。

多くの予算を使っても駄作もあります。

大切なものはその作品の中身です。

もちろん中身も材料も素晴らしいのがベストです。

それは作品としてだけであって実際の個人の人生は

映画のように沢山の材料は必要ありませんから

良い感覚を得られれば外からどのように見えようとも

かなり幸せになれます。

そして幸せな状態が続けば形もやがて伴ってきます。

逆に中身の感覚が無ければ張りぼてですから

時間の経過と共に劣化が激しくなります。

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