悪意や生霊、呪いのからくりと対策(スピリチュアル)

sponsored link

悪意や生霊、呪いを遠ざけるオポジションの使い方

という記事を書きましたが、想定よりも読んで

頂けたので少し深掘りします。

悪意や生霊、呪いの防御と言うと霊能的なイメージが

湧くかも知れませんが、本当にそのようなイメージが

持つような突出した能力が必要になるのは、特殊です。

人の霊的な部分や霊的な存在に直接的に働きかける

としても、そもそも、そのような強い力をどこに

向けて状況をコントロールしようとしているのかを

理解出来れば自分自身で自分を守ることが出来ると

思います。

これは私たちを救おうとする側も呪う側も同じ理屈です。

扱いがポジティブなのか、ネガティブなのかだけの違いです。

私たちの意識が見ているものは、かなり揺れます。

自分自身が見ているものが確かなものだと感じられる人は、

その人の意識が確かなだけであって世界そのものが

確かなわけではありません。

これは一時的に強いショックを受けた場合

長期間継続してプレッシャーやストレスを受けた場合

何かしら正常な意識を失うような飲食物を摂取した場合

心的外傷を負っている場合等々

様々な理由で精神のバランスを欠いていると

世界は、次第に色を失い揺れ始めます。

完全に正常な意識がシャットダウンすると異なる次元の

光景が見えるようになります。

奇妙なことですが、確かな意識には見えないはずのものが

その意識が落ちても意識が覚醒していると本来見えないはずの

ものが見えます。

sponsored link

その時に見ているものは、確かな意識を正常な意識とすれば

幻覚を見ているということになります。

しかしその人の脳は何かしら見ているのです。

これを心身が落ち着いた状態で見ているのか

心身のバランスを欠いた状態で見せられているのか

というケースがあります。

どちらの場合であっても見ているものは、自分自身の

意識の中にあるものです。

普通の状態であれば見えないものや普通の人が見えないもので

あれば、それは幻覚と呼ばれますがその人には、ちゃんと

見えているわけです。

見えている以上、正常と異常の区別は付きません。

しかしそもそも正常、異常の区別は文化的なものであって

本来そのような区別は支えるもの次第でいくらでも変わります。

一番理解し易いのは、迷信です。

多くの人が迷信だと判断した時点で誰も信じません。

しかしそのような判断が定着するまでは、迷信の持つ

ビジョンを案外見たという人が多くいます。

そしてそれが異常とはされません。

大勢の人が同時に経験するかしないかなのです。

もちろん、他のケースで考えることも出来ますが、ここで

大切なことは他人がどのように評価しようが当事者は、

本当に見ているということです。

本当に見ていることが更に進行すると本当に現象が

伴うこともあります。

第三者から見ても物体が動いたり、身体に傷が出来たりします。

これは意識が見ているものが、意識が見ている現実の中で

作用しているのです。

このような状態でも身体がある存在であるならば、意識が

確かな人たちと同じ空間に身体はありますから、何かの

拍子に目撃者が発生する可能性があります。

しかしこの場合であっても真に現実として体験しているのは

自分自身の意識の中でその現象が起こっている人だけです。

これは映画監督が脳内に持っているイメージを全力で作品に

投影しても観客がそれぞれ好きに受け取るのと同じです。

映画監督のリアリティーと同じリアリティーを観客が

手に入れるわけではありません。

それでも映画監督は、自分が意図することが観客に

伝わるように計算して作っています。

映画監督と観客の受け取り方の関係性を霊能の働きの

理解と直径させるのは不適切かも知れませんが、

かなり似ています。

これを悪意や生霊、呪いといったネガティブなセンスで

行うのか、そのようなネガティブな働きかけが見せるものを

解除するポジティブなコントロールを行うのかと言った違いです。

このポジティブなコントロールを自分自身で行うのか

そのような能力を持っている人が行うのかという違いもあります。

自分自身で行う場合は、本来の自分自身に近付けば

そのようなコントロールを他者から受け難くなります。

コントロールする側は、無理矢理、本来のその人自身と意識の

ズレ(隙間)に自分自身が見せたいものを捻じ込もうとします。

ネガティブなものが悪意や生霊、呪いです。

それと同調して捻じ込まれた側が自発的に見えるようになると

お仕舞です。

このような仕組みは、親子関係でも会社でも組織的に大なり小なり

行われています。

それは人間が身体に伴う自我で魂を持った存在である以上

発生する状況であってそれほど特別なものではありません。

虐待も呪いと同じです。

家庭で起こることですから虐待という認識が強くなりますが、

宗教施設内で起こる場合もあります。

その時には集団ヒステリーのような憑りつかれた状態とも言えます。

集団の力学よりもスピリチュアルな側面が強くなると

呪術的な色合いが強くなっていきます。

大切なことは、完全であるよりも、常に本来の自分自身に

近づこうとするポジティブなコントロールを失わないことです。

そしてそのための具体的な行動の選択肢を持つことです。

このような問題は、対処出来ない場合は積極的に逃げましょう。

逃げながらコントロールすることが大切です。

ネガティブな影響が効力を持てない境界線まで逃げれば十分です。

sponsored link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントの入力は終了しました。
error: Content is protected !!