自分の幸せが約束された場所

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自分にとっての正解の出し方という記事に

「私たちは、常に「今」「ここ」という一つのポイントにしか

存在出来ません。

言い方を変えれば「今」「ここ」に居続けることが使命です。

そこで私たちは、新しい価値を創り続けています。」

書きましたが、これは孤独なこととは違います。

これを孤独だと思うと究極的には、自殺してしまいます。

頑張っている人ほどプレッシャーと孤独の中で

ぽっきりと心が折れてしまいます。

ゆっくりと干からびて乾燥して固く細くなって最後に

折れるのです。

しかし「今」「ここに」居続けることは真理です。

それは、自分自身の運命の乗り物とも言えるポイントです。

このポイントこそ究極にその人が幸せになれるところです。

ここまで読まれて脳内にクエスチョンマークがあると

思いますが、もう少しお付き合い下さい。

頑張って本来の自分自身になって多くの人がその人を

通して幸せになっても自殺する場合があるのは、

孤独だからです。

実は、今、ここで書き続けているポイントにいるのは、

生年月日と生まれ時間で表される自分自身だけではなく、

もう一人の自分とも言える存在がいます。

ホロスコープで表現される自分自身は、何かと制限

されることで個性が出来上がっています。

その結果、特定の身体、特定の気持ちの在り方や思考の生理を

持っていて真に他を受け入れたり理解することは困難です。

それは夫婦でもそうですから、他人はもっと難しいものです。

そのような限定された地上的な存在に常に寄り添っている

普遍的な自分がいます。

その普遍的な自分も自分自身である以上、普遍的な存在の

一部に過ぎませんが、現実的(地上的)な心配事がまったく

ないので常に広い視野を保っています。

現実の中で頑張っている自分自身が少しでも成果

(クリエイティブな価値)を普遍的な自分自身に

加えられるように何かと応援します。

しかし直接的に手助けすることは出来ません。

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「今」「ここ」というポイントで頑張り過ぎて孤独を感じると

究極的に死を選択してしまうかも知れないと書きましたが、

この常にサポートしてくれている存在を感じられると

孤独でないことが分かります。

母親に虐待されると適切に甘えられず、幼児的依存心を

克服出来ずにいつまでも不利益をもたらす人間関係から

自由になれないと思っている人がたまにいますが、

この普遍的な自分に気付けば幼児的依存心という概念

そのものが幻であることが分かります。

もちろんそのような母親に育てられることは不愉快ですが、

だからと言ってそれに幸福を台無しにされると決まっている

わけではありません。

何よりもホロスコープで表現される限られた自我である

自分自身を通して普遍的な自分のエネルギーを全力で

引き出そうとする時に「今」「ここ」は、最高に幸せな

場所になります。

この真理の方がはるかに虐待の影響を上回ります。

これを究極に行える人は、一帯に砲弾が雨あられのように

落ちてきても自宅に当たらなかったとか、そのような

奇跡のような体験は様々なものがあります。

しかしそんな大袈裟なことは不要とは言いませんが、

自分自身が楽しく生きながら新しい価値を加えていくのに

それほど気負う必要はありません。

ホロスコープで表現される自分自身が、どんなに限定された

ものであっても、否、限定されていた方が商品が一つしかない

お店みたいなものですから営業(人生)が楽とも言えます。

素晴らしいホロスコープを持った人は、大変と言う言い方も

ないことはないのです。

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