愛と死の選択の関係

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私たちは生きている間、魂は無数の言葉(言語ではなく意識)で

ぐるぐる巻きになっています。

最終的にそれらに物質もまとわりついて両親を通して

与えられた身体と繋がっています。

生まれたての赤ちゃんは不自由で重い身体に馴染むのは

大変なことですし、それを自由に扱うことは魂同士にとって

上手に自動車(乗り物全般)の運転が出来るようになることと

似ていて憧れの対象になる場合もあります。

自分自身が所有する(第2ハウス)乗り物ですからデザインが

好みの方が良いに越したことはありません。

本来の自分自身(魂)の本質に沿って考えれば、自分自身に

新しい価値を加えられれば乗り物の外観や性能は、普通でも

良いという感じ方もありです。

第2ハウスは、身体面の自分自身の価値を感じるハウス

ですから能力だけを表すものではありませんが、単純化すると

能力を含む身体を資産として扱います。

身体を自分自身の所有する物としての意識だけが何らかの

事情で強くなるとネガティブな精神状態になります。

ネガティブな精神状態になるから自分自身の身体が

所有する物に思えてくる場合もあります。

小奇麗にしたりするのが面倒になったり、ましてや

積極的にボディケアをしたりトレーニングをすることが

鬱陶しくなります。

しかし、このような身体を物質的に捉える傾向は、否定的な

ものではありません。

魂だけを意識するような精神状態に傾き過ぎても身体は

物質的な感じ方に傾いていきます。

この世で私たちは、魂の価値観とDNAを通して与えられた

身体の価値観と行ったり来たりすることで程よい状態を

保っています。

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心は、常に異なる価値観の潮目にあることになります。

魂の価値観も人それぞれですし、身体側も同じです。

どのような潮目(渦潮みたいなもの)が出来るかは

人それぞれです。

同じ人でも年齢や体調で変わります。

言い方を変えれば、この潮目(渦潮)は動きますから

その度に気持ちも上がったり下がったりしています。

スピリチュアルなお話ですから単純に上がれば良くて

下がれば悪いみたいな話ではありませんが、下は身体側で

上は魂側とイメージして良いかも知れません。

ただどちらかに傾き過ぎたタイミングで思わず死を選択

してしまうことがあります。

それ以前にどちらに傾いても心身どちらか、若しくは

両方ともかなりきつく感じられます。

そして何らかの事情でどちらかに傾いたまま戻れない

場合もあります。

このような場合も死を選択し易くなります。

しかしそうは言っても身体がしっかりと魂と接着している

間は、物理的に無理に引き離しても魂をぐるぐる巻きに

している言葉(意識のようなもの)は、簡単に切れませんから

本当の意味で簡単に死ねません。

何だか中途半端な状態になりかねないのです。

中途半端な状態は、迷いに縛られますから苦しく感じられます。

どの程度苦しいかは、その人の置かれた迷いの内容次第です。

除霊する人は、その迷いを解くことで解放してあげるわけですが

迷いの内容次第によっては誰でも簡単に出来ることではありません。

場合によっては、死が本人自身の選択でない場合もありますし

それに様々な要素が乗っかってくるとかなり扱い難いと言うか

危険な状態になります。

出来れば死を選択せずに命を使い切る方向で頑張って欲しいと

思います。

魂側に傾き過ぎても身体側に傾き過ぎても気持ちはしんどい

ですし、どちらかに留まる時間が長くなったり、快適な

滞在バランスが崩れてもメンタルはおかしくなります。

現実に早く成果を出したい場合や辛い状況から早く楽に

なりたい場合に極端なことをし易くなります。

一番多いのは、周囲が受け入れてくれた一つの方向性だけを

追いかけた結果、傾きが酷くなる場合です。

愛されることが動機になった場合です。

この愛は月星座の求める内容と結び付いているのでなかなか

修正が出来ません。

ネイタルのホロスコープの月とトランジットの海王星の

ハードアスペクトが死に誘い易いのはそのためです。

愛の幻想が崩壊した時に、魂側若しくは身体側に一気に

傾いてしばらく戻れなくなります。

このような状態は、現実を損なう時間が長期化しますから

どちらにしてもダメージは大きくなります。

アセンダントを初めとするアングルも似たような影響を

受けますから注意が必要です。

愛は、愛されることと愛することとの両面で成り立っています。

何らかの事情で愛されることが大きな負荷を自分自身の個性に

かけていたりする場合は、その個性を引っ張って生きるのは

30歳前後が限界です。

それまでの自分自身が壊れても何かを誰かを愛する側の

自分自身を体験していく状態に変化していければ

もっと楽に愛を実感出来るようになります。

それはそれでまた長い道のりの始まりですが、愛したものに

愛されていたことが実感出来る日が来るはずです。

そのような感じ方が出来るとあまり極端にどちらかに

振れなくなります。

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