「三浦春馬(さん)を諦めない スピリチュアル」という検索キーワード

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三浦春馬さんの助かった可能性と母親問題

という記事をアップした後に

「三浦春馬を諦めない スピリチュアル」という

検索キーワードが残っていました。

タグに「三浦春馬 スピリチュアル」というものを

使っていますが、「諦めない」という言葉に

愛を感じました。

人それぞれいろんな思いがあるでしょう。

個人的には、三浦春馬さんが開いたスピリチュアルな扉を

開き続けていたいと思っています。

これは私自身が何かをするということではなく

三浦春馬さんの存在を忘れないということだけです。

幸福は、創ることではなく誰かが作った価値を

受け取るものです。

誰かが作ったものは受け取る人がいる限り消えません。

人は具体的な行動を通して何かを作っていますが、

本当にあちこちに飛んでいくのは、その人の波動

みたいなものです。

幸福になろうとしてなれるものではありませんし、

幸福感と努力は関係ないものです。

如何に自分自身にとって必要な波長を集め続けるかです。

それを受け取れる自分自身でいられるように

調整するかだけです。

人間的な努力は努力に見合った形を作り出す大切なものですが、

それがイコール幸福感に繋がるわけではありません。

何かを達成すれば幸福感に包まれるというのは幻想です。

努力はそのような目的で使うものではありません。

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自分自身にとっての幸福感を物質化させると言ったら変ですが

形にして安定化させるためです。

自分自身の価値を創造するようなことは、自分が楽しいわけ

ですから努力とは言いませんし、強いて一般的な意味で

意識的に努力する意味と幸福感は、それほどダイレクトに

繋がっていません。

三浦春馬さんが創造した価値を感じることで幸福感を

得られる人(もっと言えばそれが必要な人)は、いつまでも

積極的に感じ続ければそれで大丈夫です。

ただ感じるという行為は、日常生活を回していく中で

どんどん入れ替わっていきますからある程度物質化して

確かなものにしていくだけです。

それは旅先で写真を撮ることと似ています。

しっかりと感動を目に、心に焼き付けておけば良いのでしょうが

何となく写真に残したくなる衝動と同じです。

そして場合によっては、その写真を他の人にも見せたりするのと

かなり似ています。

幸福の正体は、物質ではなく幸福感です。

絶えずどこからかやって来てどこかに流れていきます。

自分自身のところだけにとどめて置くことは出来ません。

感じたら手放してまた次を感じる準備をします。

その繰り返しです。

幸福感は、その過程で受け取る仕組みが整っていきます。

どこに行けば、何をすれば、どんな時期ならタイミングなら

もっと感じられるのか詳しくなっていきます。

まるで生き物みたいですが、誰かが創造した波動ですから

特定の周波数で生き物のように存在し移動し続けています。

自分自身も毎秒、動き続けています。

受け取りたい波長(人や霊の想念いたいなもの)も動いています。

ものではありませんから、受け取れなくなることもあります。

そのような時もコツコツと整え直していくだけです。

場合によっては、受け取る能力を大幅に上げる行動を

する時もあります。

もしかしたらそれは努力と呼んで良いかも知れません。

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