霊障と単なる不調の違い

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霊障と言うものは、そうそうありません。

霊的ものを感じ易いということはあっても俗に言う悪い霊

と言われるような存在が誰かに憑りつくことは稀です。

そのような霊が少ないということではなく基本的に

誰もが守られているからです。

不調になると多くの人が自分の運勢に多かれ少なかれ興味を

持ちますが、運勢が具体的な現象になるには様々な要素が

ある一点に集まるような働きが必要です。

それが事故やトラブルになるほど精度のものでなくても

ある程度近くに集まったままぼやっとした点がしばらく続くと

運勢が悪い時期ということになります。

生まれ時間が分かっているホロスコープを作ることで運勢は、

チェックし易くなりますが、自動車を運転する時に実際の

道路状況を見ないでナビゲーションを見ながら運転するような

感じと同じになるほどホロスコープばかり気にしていると

当然何かにぶつかってしまうでしょう。

ナビゲーションを適度に気にしながら現実の運転に

集中することが大切です。

そのためには、守られている必要があります。

守ってくれようとしている存在と出来るだけしっかりと

感覚的に繋がっていないといけません。

この繋がりが薄れると世間とか悪い意味での常識、

あーでもないこうでもないという思考(迷い)が入って来て

自分自身を切り裂き始めます。

これが間(魔)です。

放置しているとずたずたになりますから早急に繋がり直す

必要があります。

しかしこれは霊障ではありません。

自分自身から離れることで自分の内界に生きる本来の存在から

遠ざかり不安が増します。

この不安を解消するために怒りを他人に向けます。

それが出来ない場合は、その怒りと同じものがが自分自身に

向きます。

そのような時は、怒りとしての実感はないでしょう。

そしてまるで霊障を抱えているような状態になります。

それは内界のイメージが現実と呼応し始めるからです。

しかしこのような流れは、幸運の場合も同じです。

主体性を維持したまま内界に入っていて、それを通して

感じていることと現実が呼応していけばまるで霊能が

働いているように見えます。

しかしそれは霊能と言うほど大袈裟なものではなく

私たちの思考する部分(性格)が私たち自体に対して

敵対する関係のような状態になっていなければ起こる

自然な働きです。

簡単に言えばついている状態です。

しかしこのようなものには、波がありますからリズム的に

調子が出ない時期にも安全安心に過ごすには良い習慣を

持つことが大切です。

生きている人間は、身体を持っていますからある程度は

共通する良い習慣があります。

本当に霊的障害が起こってしまうとその間の記憶自体が

ありませんから、ただ事ではありません。

霊能が働いている時も同じです。

半ば気を失っています。

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