愛と死の接点、心の支えを失った時に考えてみたいこと

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愛していた人や心の支えだった人が亡くなると喪失感や

悲しみのあまりに後追い自殺をする人もいます。

しかしそのようなことをしても亡くなった人と一緒に

過ごせることは、ほとんどないはずです。

この世は、小学校や中学校と言った義務教育に通う

ようなものです。

魂が身体に入ることで様々なタイプの人が同時に

存在出来ます。

ところが身体を失うとその人のスピリチュアルな在り方に

応じた空間や移動の仕方しか出来ません。

俗に言う幽霊は、亡くなった時のスピリチュアルな在り方が

とても重くてそこから離れられなくなった悲しい状態です。

どうにもこうにもならないので生きている人間に憑いて

何とかそこから離れようとします。

スピリチュアルな在り方とは、何だ?という感じですが

生きている人間にとっては、記憶と言われるものです。

しかも本当に内面で感じている内容です。

それに沿った形でしか亡くなった人と繋がることは出来ません。

当たり前ですが、どんなに親密な関係であっても自分自身意外と

多くの接点を持っているのが普通です。

しかもその接点は、内面で発生しているものですから

限りなく沢山あります。

そう言った意味では、亡くなった人と繋がりたい場合は、

自分自身が生きていてその相手を思うことが、一番確実です。

亡くなった後は、それぞれの本当の内面に相応しい状態に

落ち着いていきます。

これは、無情どころか罰でも何でもなくて執着心や身体的な

制限から解放されれば自由になるだけです。

身体を持って生きている時は、生い立ちや遺伝的な資質で

制限され特定の生き方の中で特定の資質や愛情の在り方を

深めていきます。

ホロスコープで言えばノード軸が表す環境です。

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母親から生きる力を奪われるアスペクト(相性)

という記事を書きましたが、これはその人がこの世で生きる

条件を作り出す仕掛けのようなものです。

このような相性を持つことで、その人の関心、成長の方向性が

どこに向かっていくのかが調整されています。

誕生日も生まれ時間も同じで完全に同一のホロスコープを

持っていても両親が異なれば運命は、変わります。

モデルになれるくらい美しくても一人の親は応援してくれて

もう一人の親は、そのようなことに関心を示すと虐待とも言える

ような罰を与えるならばモデルにはなれないでしょう。

極端な例えですが、それくらい親、特に母親との相性は、

子供の運命の一部になります。

現実的に生きている間は、生まれ落ちた家庭だけではなく

その周囲の人的、物的環境を含めて特定のことに沿った

人生になるように配慮されています。

大きな事件を起こした人たちは、大雑把にまとめると

そうなるしかなかったみたいなことを言われる傾向がありますが

亡くなった後は、特定の要素から離れて自由になります。

生きている間もその業のようなものから、上手に離れて

本来の自分自身が楽しめることと関わりながら取り組めると

かなり落ち付けるので愛する人が亡くなっても後追い自殺

するようなことは起き難くいですし、亡くなった事実を

何とか受け止められます。

言い方を変えれば生きている人間が出会うということは、

かなりの縁です。

偶然は、ないかも知れません。

偶然ならば、本当に幽霊とすれ違うことと同じです。

何の接点もなく気付かないまま通過していきます。

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