「金星期 失った」と言うキーワード検索について

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金星期を失ったというキーワードが上がっていました。

とても抽象的な言葉ですが、誰かに侵害されることに

よってその期間が台無しになったのか、自分自身が

根本的に抱えている課題を何とかしようと

一生懸命頑張ったけれども、その努力が無意味だったとか、

様々なことが考えられますが、簡単に言えば敗北感を

抱えて心の奥の暗闇の中に沈み込んでしまった

と言うことかも知れません。

金星期は、16歳から25歳です。

この期間に養われた感受性は、死ぬまでつきまといます。

どう転がっても金星期は、金星期なのです。

心の暗闇について誰でも読むことが出来るブログで詳細に

書く訳にはいきませんから、もし金星期を失ったという

ことに関心がある人がこの記事を読んでも核心に触れない

ままで終わっている気がするでしょう。

それでも敢えて書く価値があるとすれば、敗北感にまみれて

横たわっている暗闇についてではなく、その泥沼のような

ものの中に自分自身が必死に探り当てつかみ取ったものがある

という真実です。

この真実は、別に綺麗事でも曖昧なスピリチュアル視点でも

なく、間違いなく実感を伴うものですし、自分自身の地や涙を

流して既につかみ取っているものです。

もしこのキーワード検索をした人がこのブログの記事を読んで

下さっている方であれば、進行の月や進行の新月と併せて

自分自身のホロスコープを読むことで本当に自分自身が

つかみ取って来たものが理解出来ると思います。

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確かにそこに世間一般的な明るく華やかなイメージの

金星期は、なかったかも知れません。

それでも戦った時の高揚感や孤独を感じながらも丁寧に

準備して自分なりの成果をつかみ取るまでの途方もない

充実感等々様々な感受性が育っているはずです。

その感受性だけを泥沼のような暗闇から拾い出して

綺麗に洗い、太陽期からは、その感受性が報われる目標を

設定したり、その感受性そのものが活かされる環境や

精神世界の中で生きることが大切です。

それではいつまでたっても子供時代に欲しかったものが

手に入らないと思うかも知れません。

この記事で書いていることは、そのようなニーズとは別です。

簡単に書けば、そのようなニーズを満たすには、何かしら

もう一度ダークな世界に戻ることを意味します。

子供時代は、もう無いのです。

瑞々しい金星期は、もうないのです。

しかしそれでも敢えてそれにこだわるのなら、今、自分は

そのようなものと似て非なるものを求めているという

客観的な認識が必要です。

大人になるほど代償のないものはないことは分かるはずです。

出来れば自分自身がつかみ取った金星期の中にある感受性を

活かす生き方を洗練させていくことに邁進して欲しいと思います。

失われた金星期にこだわると大人になれません。

頑張った人ならば絶対に金星期に何かを掴んでいます。

それが本当の宝物です。

はっきり言えば恋人やパートナーよりも大切なものです。

何故ならその金星期の感受性を元にして恋愛運や結婚運は

育っていくのです。

先ずは泥沼から取り出して綺麗に洗うことが先です。

そしてそれをどうやって使いこなすのか少しずつ身に付けて

いくだけです。

もっと言えばネガティブになり過ぎて自分自身が気がつかない

だけで既にエキスパートなのですから、敗北感から立ち直れば

すぐに現役に戻れます。

人生には、勝利も敗北もありません。

あるのは、勝利したような感覚や敗北感です。

どのような太陽星座、月星座、金星星座でも構いませんが、

自分自身に引き付けて勝利した感覚や敗北感について知りたい

場合は、サビアン度数の21度と22度を参考にしても

良いかも知れません。

金星期は、戻りませんが、その時に掴んだ感覚を丁寧に

扱う作法やその感覚を継続的に再現出来る手段を健全な形で

持てれば幸せを実感出来ます。

恋愛や結婚と言うものは、その実感を分かち合うものです。

どっかから切り取ってきた幸せのイメージは、誰か他の人の

幸せです。

どうしてもそれが欲しいならば自分自身の実感(神経)をそこに

入れていかないと簡単に腐ります。

幸せはどんな種類であっても生の部分が必要です。

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