3・11

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3・11を直接体験したわけではありません。

ただ思うのは、皆で復興を目指して頑張るのならば

苦しくても頑張れるのかも知れません。

しかし時間の経過と共に未だに復興の真っただ中に

いる人たちとそうでない人たちの温度差が広がれば

広がるほど辛くなる人もいらっしゃると思います。

3・11の復興について具体的に語る言葉は、持ち合わせて

いませんが、様々な家庭の問題で密かに苦しむのは、

周囲の大人や家庭をコントロールする側の人間が全ては

解決したという態度を一方的に取ることです。

学校のイジメもそうでしょう。

子供に限らず大人社会にも他人に圧力をかけて楽しむ

サディスティックな人間は、それなりに存在します。

そのような問題が表面化した時に根本的な問題は、

何も解決しないままに終わったとされることが

ほとんどです。

それは様々な被害者にも同じことが言えるでしょう。

もちろん人は、前に進んでいくしかない存在です。

どんな境遇であっても同じ場所に留まり続けることは

出来ません。

何かについて日々新たにしていかなければ幸せに

生きることは、出来ないようになっています。

それでも大きな事件や問題を抱えた場合、簡単に終わる

ことが無いのが、個人です。

震災の関連死が多くなる理由は、時間と共に個人的に

様々な辛さを抱えたまま前に進まないといけないことも

あるように思います。

何かを抱えたまま、もう前に進めないと思えば、それほど

辛いことはありません。

少なくとも誰かが気にかけている、誰かが祈ってくれている

かも知れません。

一定の限度を超えると個人の心で受け止めることには、限界が

あります。

直接的な接点を持てる人は、少ないかも知れませんが、

思うことは出来ます。

思えば少しずつ繋がって具体的に届くかも知れません。

スピリチュアルなセーフティーネットは、網の目のように

張られています。

そのポイントのどこかにエネルギーが集まって具体化します。

終わっていないと感じている人がいる以上、それは決して

終わりません。

現実は、前に進み続けるしかありません。

思いに寄り添えるのは、スピリチュアルな在り方です。

その区別はあって良いと思います。

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