第10ハウスにリリスがあるタイプの人が呪いから身を守る視点

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「知る」という行為は、けっこう危険なところがあって

自分自身の環境に裂け目を作ってしまいます。

その裂け目にはまってしまって飲み込まれてしまう場合も

ありますから余計なことを見ない、耳を貸さないという

自己防衛があります。

逆に誰かを取り込もうとする存在は、様々な手段を使って

情報のコントロールをします。

見せたり聞かせたりします。

それを洗脳と呼ぶ場合もあります。

誤解が無いように書きますが、だから悪いという趣旨の記事では

ありません。

そうすることでその情報の影響によってコントロール

される対象となった人や物は、一部を削ぎ落とされたり、

余計なものを足されたりして全く異なるものになることも

あります。

このような働きは、ある種の呪いなのですが、実は

それぞれの人にとっての真実と言う意味合いでは、

言葉を使うという時点で呪いをかけあっている側面があります。

呪いとそうでないものの違いは、それによって傷つけられた

部分を通して他の存在と繋がれるのか、それとも一方的に

支配される状態になるのかで分かれていくのかも知れません。

最悪の場合は、命を取られます。

もちろん、全てが誰かの人格の改変を意図した強烈なもの

ばかりではなく、案外、曖昧な呪いも多くて発した側も

受け取った側も奇妙な思いを抱きながらも原因も分からず

はっきりと危害を受けたような感覚があるわけでもなく

消えていきます。

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呪いは、明確な表現を避けながら必ずコントロールしたい相手に

それを知らしめようとします。

呪いを一方的にかけられる側として第10ハウスにリリスがある

タイプの人を仮定した場合に、どうすれば自分自身を守ることが

出来るかと言うと自分自身のリアリティーを奪われないことです。

世の中には表向きの能力は、大したことがなさそうに見えても

自分自身のリアリティーを創り出す能力がとても高いタイプの

人がいます。

そのようなタイプの人は、先ず潰されません。

それどころか多勢に無勢でも長い時間をかけて少しずつ状況を

変えていけます。

敵に回すと本当に厄介なタイプの人です。

華やかな能力を持った人と比べるといったいどのような存在なのか

まったく想像すら出来ずに多くの人が舐めてかかりますが、

そのような人を見る目がない人が本当に危害を加えるようなことを

始めると気が付いた頃には、かなり形成が逆転していきます。

それはその人が抱えているリアリティーの差です。

人の在り方の根っこ部分のほとんどは、見えない世界にあります。

そのようなあるのか無いのか分からない部分にしっかりと

繋がっていることが大切です。

自分自身の能力や努力といったものは、頼りにするものではなく

他者に貢献したりして必要な何かと物々交換するようなことに

近いものであって、それを頼りにして安全安心を得ようとしても

長い目で見たらどこかで疲れ果ててしまいますし、何よりも

努力が上手く回っている間ですらふと不安になったり焦りを

感じてしまうはずです。

リアリティーの差と書きましたが、本当は差はありません。

誰でも平等です。

ただ繋がっていることを強く感じられるかどうかの違いです。

強く感じるためには、生き急がないことです。

人生は、レースではありません。

結局のところは、その人しかない道を歩んでいます。

そう言った意味では、孤独な旅ですが、身体を持っているので

誰かと一緒にいることも出来ます。

誰かと一緒にいても孤独を感じるという時は、そもそも

自分自身の歩むべき道を進んでいないのかも知れません。

第10ハウスにリリスがあるタイプの人のリアリティーは

社会的に問題視され易い傾向があります。

それは自分自身が否定された部分を社会で救済しようとする

からであって他のハウスのリリスのように上手く他人(社会)と

関係ないところでリアリティーを扱えないのです。

上手く扱えている間と言うか周囲がそのリアリティーを

許容している間は、とても熱心に働けますから第10ハウスに

感受点があるメリットもあります。

その時は、理由はどうであろうと第10ハウスにリリスがある

タイプの人のリアリティーは生きている状態です。

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