悪魔のような力から自分自身を守る神様の意思の使い方

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記事タイトルは、神様の力ですが、本当に神様は

いるのでしょうか。

現実を子細に見ていると神様よりも悪魔の力が社会の

隅々にまで行き渡っているようなところがあります。

理由は分かりませんが神様は、悪魔に見えるような

存在にも等しく恵みを与えている可能性があります。

つまり悪魔よりも神様は、高い次元に位置していて

神様に直接的に関わる以外の存在を等しく観察して

いるようなところがあります。

そのように考えると現実は、とても厳しいフィールドです。

善良なだけでは生きていけないということです。

弱者から見たら悪魔に見えるような力の行使も可能な

世界を生きているのです。

しかし誰もがそのような途方も無い力を持つ存在ではなく

どんなに頑張っても羽をもがれるような時もあります。

ですから悪魔のような力に近付き過ぎると普通の人は、

とても対処出来るものではありません。

悪のような力は、繁栄するために仲間を増やしたいですから

自分自身から遠いところにも影響を及ぼそうと努力します。

そして悪のような力は、遠くから見るときらびやかで

魅惑的に見えます。

普通の人は、神様の力からも遠く悪魔のような力からも

距離が離れている場所に自分自身の居場所を構えています。

ところが悪魔のような力は、繁栄するために日々活動

していますから何かの拍子に接触することがあります。

これが不運です。

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悪魔のような力は、常に標的を探しています。

地上的な繁栄は、常に他人への境界線に侵入していくことで

成り立っています。

それの究極的な行為が戦争です。

国境や領海の境界線を常に見張っておかないといけません。

生産性のないことと地上的な豊かさは相性が良いのです。

前置きが長くなりましたが、このようなことが個人的な

オーラの境界線付近でも常に起こっています。

個人的な悪意、集団的な悪意も常に繁栄を願って他の存在を

取り込もうと必死になっていますが、このような見えない意思と

神様の意思は、噛み合いません。

同じ次元にないからです。

自分自身が神様の意思がもっとも反映しそうな存在に寄り添えば

寄り添うほど悪魔のような力は、影響を及ぼし難くなります。

神様の意思が反映しそうな存在は、この世では、まるで無力です。

頼り無さ過ぎて存在しないことと同じです。

しかしそのような存在は、欲の対象にならないシールドのような

働きをしますから悪魔のような力には、感知出来ません。

狙っていても動きが見えないのです。

言い方を変えれば神様の意思が反映し易い欲の少ないタイプの人や

本当に心が綺麗な人は、悪魔のような力から遠く離れているべきです。

得にもならない利益にもならない頼りにもならない存在を

大切にして下さい。

それは神様の意思が反映した空間です。

このような空間は、現実世界の中では常に移動していますが

自分自身の意識だけが飛んでいければ追いつけます。

善意を前面に押し出したチャリティーみたいなこととは異なります。

他人に悟られるような善意にその人を守る力はありません。

ですから無名な人は、助かり易いです。

あの人は良いことをしているよと知られるとそのシールドは

消えます。

社会的な評判は、上がりますが意味合いが異なるのです。

個人が幸せになりたいという意識は取りあえず個人が中心の

発想ですから見えない世界を支えている様子を他人に理解

されるようでは支える力(守護する力)として働きません。

これは自分自身の個性に対して誠実に生きることと密接な関係が

あります。

人真似をすることは見えない世界では、弱さです。

ですから個人が持っているのは、ほんの少しの神様の意思です。

それを大切に使って自分自身を守ることが大切です。

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