憎しみが幸せな体験を呼ぶようになる扱い方(憎悪からの逃げ方)

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憎しみのようなマイナス感情を一方的に否定する人は、

他人のそれに飲み込まれてしまうかも知れません。

この世は、良いことばかりでも悪いことばかりでも

ありません。

一つのことが両方の形で存在しているからです。

スピリチュアルな話になると結局のところは、個人的には

綺麗事過ぎて何だかなことになるので、今回の記事は

個人的な憎悪に付いて書いています。

ある人が納得出来ない状況に追い込まれてしまったとします。

こんな時は、綺麗事にしがみついていないでマイナス感情を

素直に燃やして頑張れば良いのです。

この世が対立する要素で成り立っている以上良い思いを

している背後には、それを支えているマイナス感情があります。

ただこれは、個人単位とは限りません。

戦争がもっとも分かり易い例ですが、第2次世界大戦で

大変な目にあった祖父母や曾祖父母が諦めずに頑張って

くれたから今の日本があって楽しく生きることが出来ます。

これは戦争がどうのこうのではなく誰かがマイナス感情を

引き受けて幸せがなり立っているというということです。

現在のネット環境は、当初と比較すると比較出来ないほど

進歩していますが、これもエンジニアの方々が寝ないで

開発に従事してくれたからです。

とんでもない働き方をせざるを得ない方も沢山いました。

きっと今も同じではないでしょうか。

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この世は、マイナス感情と幸せは、セットになっていて

繋がっています。

良いことしかないのは、天国だけです。

正確に言えば同じようなレベルの体験しか出来ないような

世界はあの世だけです。

あの世にまで憎悪まで憎悪を持ち込むと再び生まれ直すまで

ずっと地獄です。

素晴らしい環境だけで生きられても様々な経験を求めて

再び生まれ直す人もいるかも知れません。

個人的な憎悪の感情も同じです。

それはそれで恐れずにしっかりと引き受けて生きている間に

天国みたいな気持ち(具体的な体験に支えられたもの)を

クリエイトすれば良いのです。

ここで憎悪は良くないとか綺麗事で考えていると悪い対応を

する存在に思う壺です。

そのようなタイプの人は、地獄の思いの中で生きていますから

絶えず犠牲者を必要とします。

言い方を変えれば、自分自身の本質に沿って楽しいことを

楽しいと感じることは、案外難しいのです。

それにも誰かを犠牲にした方が楽なのです。

ですから誰を犠牲にするかという視点で考えるのです。

そして誰もそのような立場に選ばれまいと必死に取り繕います。

しかしこれは正解です。

綺麗事で生きているとここで犠牲者の立場に選ばれないように

努力するどころか、自ら積極的に犠牲になってしまいます。

びっくりするくらい幸せな体験をすることがあるように

そうでない体験も可能なのがこの世です。

素晴らしい体験は、恐ろしい世界と根っこ部分で

繋がっているのがこの世ですから個人的な頑張りで

太刀打ち出来るものではありません。

ピンチになるのは、何らかの理由で恐ろしい世界側に

近づいたからです。

そこら辺りには憎悪が吹き出しています。

憎しみの匂いがします。

負のオーラだらけです。

そのような場所も生き残るために移動します。

それを見たら取りあえず逃げることです。

少なくとも綺麗事で立ち向かってはいけません。

当初書きたい趣旨と変わってしまったので伝えたいことを

改めて簡単に書くとマイナス感情を個人的に持っても

それは、幸せをつかむエネルギーになります。

それはマイナス感情のマイナス影響を相殺するほど

幸せな体験をしないといけないという意味であって

憎悪に留まって良いという意味ではありません。

個人的な憎悪の扱いの説明をしようと思ったのですが結局

何だかスピリチュアル寄りな内容になったことをお詫びします。

良い例えを思い付きましたプロボクシングは、一歩間違うと

死んでしまうような危険なプロスポーツですが、強い敵、

対戦相手がいてくれるからこそ興行的には、盛り上がって

ボクサーのファイトマネーも高くなります。

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