死を育む(三浦春馬さんとのスピリチュアルな対話)

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誤解を恐れずに言えば私たちは、三浦春馬さんの死を

育んでいると信じています。

死を育むと言うと「?」と思われるかも知れませんが、

何かしら意味不明な力によって自死扱いされて

沢山の活躍が嘘だったみたいにその痕跡を巧妙に

減らされていくだけの流れをそれは何かが違う、

あそこもここも事実と異なるとか、三浦春馬さんの

こんなところが好きとか、共感するとか多く人が

発信し共有すればするほど三浦春馬さんの死は

育まれていくと思うのです。

家族問題に悩み鬱になって自らの命を死に至らしめした

という、多く人が三浦春馬さんの真の姿からほど遠く

描かれた死に対して、そうは、感じないという気持ちを

表明することで三浦春馬さんの死は歪で痩せ細った状態から

彩り豊かに逞しく美しく育っていくと思うのです。

私たちの感じることや思うことの全部が全部正解だとは

思いませんが、全部が全部間違っているわけでもありません。

少しずつ何かにヒットすることで確実に三浦春馬さんの死は

確実に豊かになっていきます。

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今の社会システムの中では一度葬り去られた真実の全てを

掘り起こすことは、無理なのかも知れませんが、三浦春馬さんを

慕い続ける人たちが三浦春馬さんの素晴らしさを発信し続ける

以上、三浦春馬さんの死は豊かになり続けることが出来るのでは

ないでしょうか。

多くの人が納得出来ないままもうすぐ1年が過ぎようとしています。

尾崎豊さんの時も多くの人が動きましたが、結局は未だに彼の死に

沢山の謎が残っています。

これは別に三浦春馬さんの死に関する真実が埋もれたままになる

と言っているのではなく三浦春馬さんの死を豊かで美しいものに

するために頑張っているという気持ちがあれば最終的に何かが

望ましい方向に育っていくと思うのです。

美しい三浦春馬さんと傷つけられた三浦春馬さんを同時に

思い続けると言ったら良いのかも知れません。

明らかに三浦春馬さんに負の刻印を押そうとしたエネルギーが

ありますが、それを跳ね返す方法を一般人は、持たないはず

だから三浦春馬さんの死は鬱による自死として世間一般の人が

信じることで完成するはずでした。

絶対にそうならないだけでも三浦春馬さんの死は、三浦春馬さんを

慕い続ける人がいる限り成長していけます。

亡くなった三浦春馬さんは、もうこの世で成長する機会を

持てませんが三浦春馬さんのために善意の言動を重ねてくれる人が

いる限り三浦春馬さんの死は育まれていくと思うのです。

普通の有名人の死のように葬儀があり関係者が丁重にお悔やみの言葉や

思い出話を語り、しばらく追悼番組が続くようなことは、なくても

異なる形で少しずつ育っていくことで、そこに三浦春馬さんらしさが

表れてくればと思ったのです。

その結果、何かが明らかになるかも知れません。

有名な人の死をこのようにコントロール出来るわけですから

途方もない力が働いているのは、簡単に理解出来ます。

生きている母親自身も子供の死をまるで自分自身の責任のように

言われて一度反論されて、後は鳴りを潜めています。

解明するという視点と育てるという二つの視点が必要に思えるのです。

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