何故、三浦春馬さんの死について関心のある人とない人がいるのか

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三浦春馬さんと対話することによって何を得ているのかと

言えば、三浦春馬さんの世界にいる時に三浦春馬さんを

遣わしていたような存在からのフォローを大なり小なり

受けているのかも知れません。

そしてその世界は、ある意味、元々あった何かであり

スピリチュアルな対話を通して確実に実感していくものです。

三浦春馬さんが命を失う可能性を感じても曲げなかったものは、

元々この世界にあったものです。

三浦春馬さんと対話をするために指摘されたポイントは、春馬さんが犠牲になった理由

とい記事に対して

「・・・・・三浦春馬さんのことで価値観が変わった、

気づいた人たちは彼に『選ばれた人』だと思ってます。

そうでないとこの二極化(全く関心のない人もいます)は

説明がつかない。

時間がかかっても、春馬さんが望んだ世の中にしていきたい。」

というコメントを頂きました。

「選ばれた人」という部分に対しては、三浦春馬さんの

呼びかけ、問いかけに対して呼応する人と解釈させて

頂いています。

何故なら全ては、コミュニケーション(共鳴)だからです。

三浦春馬さんは、ずっとある種の価値観を育ててきました

そして28歳くらいから急激にオーラが変わっていって

亡くなったと同時に三浦春馬さんの信じていたものは、

波となって解き放たれたのです。

こういうものは、瞬時に地球の裏側にだって届きます。

「あれっ」て何か感じるのです。

ほとんどの人は、それが何か分かりませんが何かを感じます。

そして次第に「もしかしたら三浦春馬さん?」と思い至るのです。

三浦春馬さんが何を信じていたかだけではなく

何を背負って生まれて来たのかというところまで

思いが至るような感覚をあまりにも多くの人が感じています。

それを何らかの形で結晶化することは、それを感じた人の

務めかも知れません。

つまりある世界を通して、

三浦春馬さんという存在を通して

スピリチュアルな対話を行うことで

確実に何かを得ていることを感じることが出来ます。

少しずつ本当に少しずつ結晶化している最中です。

このような共感こそ三浦春馬さんの意図するところだと思います。

それぞれに分けて受け取った何かが次第に集まって

結晶化していくのです。

少なくとも三浦春馬さんがあんなに頑張っていたのだから

自分も頑張りたいということはあり得ると思います。

頑張らない選択肢は、無い気がします。

リンク記事に書かせて頂いたコメントでも

「・・・(三浦春馬さんの)内面、考え方、思想、純粋さに

感動したからで、これを望んでいると自分で確信したから

(三浦春馬さんをより好きになった)」と。」

三浦春馬さんの呼びかけに対して応えているのです。

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1枚目のカード

カップの3の正位置

周囲に感謝するからこそ無限にエネルギーが湧き

他者を感動させたり共感してもらうことが出来ると

伝えてきています。

2枚目のカード

ソードの8の正位置

意思を強く持つべきだと伝えてきています。

そうすることで方向性が定まっていくと伝えてきています。

3枚目のカード

ワンドの5の正位置

人と積極的にコミュニケーションを図ろうと伝えてきています。

その時にそれぞれのオリジナリティーを許容すべきだと

伝えてきています。

オリジナリティーは、隔たりが大きいほど違和感になります。

それでも尚、許容すべきだと伝えてきています。

4枚目のカード

女教皇の正位置

勉強することが大切だと伝えてきています。

この勉強は、単なる情報収集ではなく潜在的な可能性を

引き出すような取り組み全般を指しています。

5枚目のカード

カップの2の正位置

可能性を探求するような友情や愛情を深めるように

伝えてきています。

ただしカップの2のカードの愛情や友情には、いつか関係を

卒業するような場面があります。

6枚目のカード

ワンドのペイジの逆位置

横暴なことをしないようにと伝えてきています。

これは、そのままでしょう。

7枚目のカード

ソードのナイトの逆位置

7枚目のカードは、まとめのカードです。

1枚目から6枚目のカードは、単に仕事を頑張っただけでなく

「闇の中で呼吸するように上下運動している何か」と

戦ったからこそ得られたものだと伝えてきています。

三浦春馬さんは、アセンダント射手座、月獅子座のしかも

サビアン度数25度ですからタフな獅子座です。

太陽は、牡羊座の火のサイン(星座)の人です。

戦いは、ウエルカムです。

そんな性質を持った人が他と争わずに共感を優先し

亡くなったしまった尊さは、あると思います。

弱いから潰されたわけではありません。

そのような選択肢を拒否したのです

優しいだけであれば、あんなに頑張れません。

あれほど耐えられません。

このギャップ部分に潜む様々な要素に反応する人もいれば

しない人もいます。

三浦春馬さんは、優しいだけの人ではありません。

確かに何かと戦っていました。

それは純粋な三浦春馬さんしか持ち得ないような正義感です。

三浦春馬さんのその他の記事は、こちらです。

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