太陽のカードで読む邪魔なローラ、守りたいローラ(広義のローラ、狭義のローラ)

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太陽のカードを一気読みしました。

途中で中断するとイマジネーションが変わるので、内容の一貫性が

危うくなります。

限られた時間でまとめて書いたので、ざっくりとした内容ですが、

それでも普段の記事よりは、かなり長いので一つの記事ですが

二つに分けました。

書いて見て大きなポイントを三つに絞りました。

1、邪魔なローラ、守りたいローラ(広義のローラ、狭義のローラ)

2、三浦春馬さんの真の協力者

3、三浦春馬さんの結婚のタイミング(生きていたらという仮定ですが)

2と3は、こちらです。

月のカードを読んだので太陽のカードを読むのですが、太陽の

カードを通して何を中心に読むのか、少し彷徨っていました。

色んなものがイマジネーション(霊感と読んでも良いですが)

飛び込んでくるので、あまり決めつけない方が良いのですが、

柄にもなく何らかのテーマに沿って読みたいとか左脳を動かして

しまいました(これは良くないことです)。

受け取れるものしか、受け取れないのがカードですから、

完全にフリーな状態でひたすら読んでいきます。

マルセイユ版の太陽のカードは、子供が二人描かれています。

顕在意識側の自分と無意識側の自分がきっちりと描かれている

わけですが、三浦春馬さんのローラとそれ以外のローラとして

一通り読んでも興味深いかも知れません。

この太陽のカードの意識と同等のバランスを取るには、それ以外の

全ての要素が必要になります。

この読み方をすると三浦春馬さんのローラを顕在意識側として

他のローラがを併せて完全なものが読めるという感じになります。

しかし、この完全なものは、誰亜がローラを演じるのかとか、

もっと言えば何故、三浦春馬さんがローラの衣装を捨てたのか?とか、

そもそも、本当に三浦春馬さんがローラの衣装を報道されたタイミングで

捨てたのか等々キンキーブーツを日本でやるやらないの次元のとても

大きな読み方になります。

理由は、簡単です。

太陽のカードの双子の子供が適切に協力し合うレベルは、完全な世界

(世界のカード)に匹敵するからです。

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このような意識には、当然、何故、三浦春馬さんが亡くなってしまったのか?

というところまで含まれるものになってしまいます。

多くの人が期待するのは、三浦春馬さんのローラが本当のローラだと言う

視点で読む太陽のカードでしょう。

月のカードからの続きを前提としているので、広義の太陽のカードと

今回の記事の三浦春馬さんのローラに絞った太陽のカードの読み方を

織り交ぜながら読んでいきます。

ここで問題になるのは、三浦春馬さん以外のローラは、三浦春馬さんの

無意識側のローラとして相応しいかどうかです。

取りあえず、三浦春馬さんのローラにそれ以外のローラは、相応しくないと

仮定します。

そうすると三浦春馬さんの無意識側(影となる)のローラは、どこに

行ってしまったのでしょうか?

もし三浦春馬さんの無意識側(影となる)ローラが本当に三浦春馬さんの

ローラに相応しいものであれば、良い意味で日本のローラは、自由に

なりますが、相応しいローラでなければ、悪い意味で落ちていきます。

しかし、どちらにしても三浦春馬さんのローラの無意識側(影となる)

ローラを誰かが担うことで、日本でのローラは、自律的(自立ではなく)な

運動を開始します。

あくまでも例えですが、これを最後に日本でキンキーブーツは、もう二度と

させないとか、そういうこともあり得るのです。

相応しい誰かが三浦春馬さんの無意識側(影となる)ローラを担えば、これから

様々な有能な俳優の登竜門みたいな舞台になっていくこともあるでしょう。

この記事は、太陽のカードに沿って読んでいるだけなので、現実については

忘れて読んで頂けると太陽のカードを通して見える光景が得られ易くなります。

広義の意味のローラの視点もあると前述しましたが、この視点を司る存在は、

そこに存在するために、自分自身の疑問について常に反芻しています。

残念ながら、あまり高尚な性質を持ち合わせていませんから、三浦春馬さん

以外のローラを通して、そのままで良いのか?と常に問い続けられるのです。

これは、狭い範囲で三浦春馬さんのローラを読んでもまったく同じです。

ただ、その場合は、三浦春馬さん自身が、このローラで良いのか?と

自問自答を繰り返しながら寸暇を惜しんで研鑽を積むのです。

ぼけっと遊んでいる暇は、ありません。

広義の意味のローラが自分自身を成り立たせるためには、三浦春馬さんのローラが

顕在意識側を担うにしても、三浦春馬さんでないローラが担うにしても、相手を

排除する必要があります。

これは、悪意ではなく、あくまでも太陽のカードに沿って読んだ場合です。

どちらのローラが顕在意識側を担ったとしても、相手が無意識側(影)を

担いますから、そのまま認めると顕在意識側も消えてしまうような関係性に

なるのが、太陽のカードだからです。

そうなると、誰かが調整する必要があります。

正しい調整のやり方は、自分自身の立場にこだわらないことです。

立場や利益に固執するほど、相手のローラを完全に否定するしかなくなります。

言い方を変えれば、相手のローラを否定すると言うことは、何らかの問題が

横たわっていると言うことになります。

否定自体が悪いと言う意味では、ありません。

太陽のカードですから、誰のロ-ラ顕在意識側であっても、無意識側(影)の

ローラとの関係性が適切であれば、キンキーブーツ全体が盛り上がります。

もし、このような状況にならない場合は、どちらが顕在意識側のローラの

立場になったとしても無意識側(影)に回った側のローラを大切にして

いなかったり、相応しくない(乖離が大き過ぎる等)ということになります。

しかし、どちらにしても無意識側(影)のローラがこれまでのローラ

(顕在意識側)に新しい何かを持ち込むことで、太陽のカードは、成熟に

向かっていきます。

今回は、月のカードの反省を活かして、一つの記事で太陽のカードを

いったん終わらせるために、ここからは駆け足で書いていきます。

太陽のカードの段階は、様々物事にアクセス出来る状態ですが、当然、

それぞれのローラによってアクセス可能なものは、異なります。

三浦春馬さんのローラにしても、それ以外のローラにしても自分自身に

相応しいものしか受け取れないのです。

三浦春馬さん以外のローラが大きな力で守られているとしたら、それも

そのローラにとっては、相応しいものなのです。

太陽のカードですから顕在意識側、無意識側と単純に二つにわけて

解説を書いていますが、広義の意味のローラを読むと、この二つのローラが

誰かの(何らかの存在)の光と影、裏表になります。

カードに沿って読んでいるので読み辛いかも知れませんが、ここが大切な

ポイントの一つ目になります。

三浦春馬さんのローラが光であれ影であれ、

三浦春馬さん以外のローラが影であれ光であれ、

誰かの(何らかの存在)にとって邪魔なローラが影であり、守りたいローラが

光だと言うことです。

2と3は、こちらです。

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