身を投げた方のカードと海王星

ツーリングの後に身を投げた方のタロット占い

を引いた時に30年前に相談に乗った青年のことを思い出しました。

海王星と現実と言う記事にその時感じたことの一部を

書いたのですが、見つけるのに時間がかかりました。

短い記事なので全文載せます。

人は、何かしら足り無いと感じていることが

あるから生まれて来ます。

足り無いものに対して、夢想します。

このような漠然とした夢想は、海王星です。

ファンタジーみたいなものであって、現実的な

手続きとは別物の在り方です。

これを個人的なものとして引き受けるのは、

大変なことなので、そのような役割は

それが可能な才能を持つ誰かに託されます。

ASC(生まれつきの性質)とMC(社会的役割)が

スクエアな関係にあるのは、自分のファンタジーを

自分で満たすのではなく、誰かのファンタジーを

満たすためです。

自分のファンタジーを自分で満たせる人は、

鼻持ちならない人かも知れません。

しかしASCとMCがスクエアな本当の理由は、

ファンタジーは、残酷だからです。

海王星的なファンタジーを個人が担うということは、

生身の人間が神話の物語の中に放り込まれる

ようなものです。

神話は、神々の物語です。

神様たちだからこそファンタジーに

耐えられるのです。

現実は詰まらないものではなく、その人の

資質にとって優しいものなのです。

それでも個人でファンタジーを背負うということは、

途方もない努力、一般人からすれば拷問のような

努力が必要になります。

それかある種の悲劇を背負うかです。

現実は決して詰まらないものではありません。

現実は優しいだけです。

優し過ぎるのです。

海王星を直接的に担うのは、危険なことです。

海王星が与えるビジョンは、才能を持ち寄って

みんなで少しずつ支えるものなのです。

ここまでが海王星の記事です。

もちろん、様々な現実があります。

これを細かく書くといくらでも長い記事になってしまいます。

ここで伝えたいのは、幻想的な憧れは、実は残酷と言うことです。

現実は、どのようなものであれ、それに相応しい物以上の内容は、

求めません。

ですから、嫌ななら離れるしかありません。

そして自分自身にとって好ましいものに近づいていくしかありません。

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