ホロスコープで探す赤い糸(出会い占い)

幸せと赤い糸の関係について書いています。

幸運の鍵の連続の途中に赤い糸は現れます。

幸運の鍵は、苦心してやっと見つかる魔法の杖や王冠

みたいなものではなく、占星術的には、日々の

トランジットで形成される大なり小なりの幸運です。

これらがバラバラに働いて(機能して)消費されるだけなのか、

繋がっていくのかは、後々大きな違いです。

恋愛・結婚相談なので「赤い糸」ですが、他の幸運であっても

日々の幸運を繋げて、より合わせてしっかりとしていったものが

赤い糸です。

言い方を変えれば、日々の不運だけを選択する道もあります。

ですから、手段として書けば、自分に合った言葉を使いこなすことを

身に付けることが、赤い糸を見つける早道です。

誰にでも自分専用の文脈(幸運全般、赤い糸含む)があります。

赤い糸は、その文脈を更に発展させてくれます。

現代は、その人特有の必要性に気が付かないようにする

仕掛けが随所に置いてあり、その人の意識がお金で

買えるような欲望に向けられるような影響に

日々晒されています。

本当は、これが欲しいとか、これとこれだけで良いとか

言うこと自体が許されないのです。

これは、意識を重くする行為です。

ところが意識は重たくするほど生きることが辛くなります。

辛いどころか苦しくなります。

タロットカードで言えば、ワンドの10のカードです。

本当の願いを叶えたり、その人と一緒にいると気がつけば

笑っている自分の「その人」と出会うどころではありません。

少なくとも自分に対して使う言葉は、自分がプライベートで

発する言葉は、自分自身が繋がるスピリチュアルな世界に

向かって語りかけるべきです。

豊かさに柔らかくアプローチするのです。

どんな方法でも、自分の意識を操作するかのように扱うと、

最終的にはカルト宗教のようになってしまいます。

他人に完全に操作されれば、それはマインドコントロールであり、

普通の社会ならば過労死や自殺、鬱です。

占星術的に言えば、第12ハウスに蓄積している豊かさを

利用するためには自分の好きなことと社会に役立つことの

重なる部分を幸運の通り道にすることです。

第12ハウスという無限の素材から自分自身に必要なものを

選んで、創造の行程である第1ハウスから第10ハウスで

作業していくのです(その人特有の文脈です)。

第11ハウスは、既に解体に向かう準備とも言えますし、

緩衝材みたいなハウスです。

第1ハウスから第10ハウスがタロットの塔のカードであれば、

第11ハウスは、星のカードです。

恋愛運は、第7ハウスで読みますが、そのような縁は、友人、知人を

介することもあります。

この時は第11ハウスです。

ここに冥王星があると騙される経験をするかも知れません。

このブログは、生き辛いタイプの人が生きていて良かったと

思えるような状態を目指しているのでネガティブな表現を

取ることもありますが、その人と一緒にいると気がつけば、

笑っている自分の「その人」と出会うために必要なことです。

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自分の意識を主体に置いて生きるには、かなりの恵まれた環境や

飛びぬけた能力が必要になります。

なぜなら意識は、全てを競争相手のように捉えるからです。

ストレートに言えば、誰かに勝って、誰に負けているのか、

そんなことを常に考えなければならない価値観です。

もちろん、第10ハウスまでの過程には、そのような側面もあります。

タロットであれば戦車のカードです。

常に誰かに価値を計られ、値段を付けられます。

意識を中心にするとほんの一握りの人しか

願いが叶わない世界に放り込まれるのです。

しかし、幸せが、その人と一緒にいると気がつけば笑っている自分の

「その人」と出会うことがそんなに難しいことであるならば、

普通の人は、どうすれば良いのでしょう。

自分が繋がっているスピリチュアルな世界をメインに生きることです。

その中から、少しずつ必要なものを必要なタイミングで取り出せば

良いのです。

そのためには、慎重な態度で、自分の意識を中心に据えないように

注意を払うべきです。

意識は、繋がっているスピリチュアルな世界を探検する冒険家

みたいな存在です。

到底、把握することが出来ない広大な空間で迷子になるような存在です。

何度か、出入りする間に、入り口を覚え出口を知り、幾つかの道や光景と

馴染みになりながら、少しずつ自分専用のスピリチュアルな世界を知るのです。

かなり跳躍しますが、直近のスピリチュアルな世界と思っていたものは、

それこそが、その人自身です。

そこが赤い糸の待ち合わせ場所みたいなところです。

自分自身と思っていたものは、現実に対する感覚の出入り口です。

アセンダントや第2ハウスみたいなものです(セットで身体になります)。

赤い糸で結ばれているのは、直近のスピリチュアルな世界の部分です。

ここに、その人と一緒にいると気がつけば笑っている自分の「その人」も

出入りしています。

現実の意識は、エネルギーの通り道であり、感覚です。

しかし、エネルギーには、強弱がありますし、感覚は本当の意味では、

当てになりません。

快楽がイコール真実の愛ではないことと同じです。

大変な経験、大変な境遇が赤い糸を発見し易くするのは、感覚的な

もので誤魔化されないからかも知れません。

このような視点でホロスコープを見直してみると何らかの気付きが

あるかも知れません。

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