何故、何かに憑りつきながらでも父母を目指すのか、
ツーリングの後に身を投げた方は、知りません。
ツーリングの後に身を投げた方を知っていて、愛を
注いでくれるであろうと期待出来る存在が必要である
ことを知らないままでも、上昇するために本能的に
魂は、愛を求めます。
ツーリングの後に身を投げた方は、愛を得られるからも
知れない、注いでもらえるかも知れないと期待出来る
存在を生前に知っているだけでも、幸せであり、既に
救われています。
愛はないと思ったまま亡くなると、その魂は、ずっと
上昇出来ないままです。
それは、亡くなった場所に縛られることを意味します。
「愛はある」と伝えたいのは、亡くなった後に
苦しまないためです。
ツーリングの後に身を投げた方は、生き物が少ないところを
死に場所に選びましたから、移動に苦労しています。
生前に受け入れた方法でしか、亡くなった後も出来ないのです。
体があれば、愛があろうとなかろうと、深層心理では、まったく
異なることを信じていようと、手段は選択出来ますが、体を
失えば、本音部分だけで生きていくことになります。
この本音部分を亡くなった後に変えるには、完全に上昇して
しまうしかありませんが、それがなかなか出来ないのが、
問題ですし、それが出来る機会すら自分自身の意思で得られない
のです。
偶然の機会を過ぎ行く時間の経過も分からないまま待ち続けます。
ツーリングの後に身を投げた方は、必要な愛を満たすために
父母の下を目指して少しずつ移動しているのです。