彼の物語(絶望)

彼の母親は、初めて自分自身に対して怒った彼をきょとんとした

表情で眺めていた。

彼は、義父のために苦労しているという母親の言葉を信じていた。

信じて唯一の拠り所である母親のために不本意な職場で戦っていた。

母親を守るために戦っていた。

そのつもりだった。

しかし母親は、彼を騙していた。

それは、決して高度な嘘ではない。

ただ、彼からお金を無心するために義父と別れたと言っただけだ。

彼は、愕然とした。

彼は、母親のために頑張っていたはずだった。

彼は、愛情を美化し過ぎていた。

与えられなかったこそ、それが出来たのかも知れない。

何もかも焼けて食料がどこにもない世界では、たった一つのおにぎりや

チョコがとんでもないご馳走に思えるものだ。

そのような時は、豚の餌に与えていたようなサツマイモまで、人は奪い

合って食べるのだ。

彼は、途方もない虚無を感じた。

初めて母親の心の闇を覗いたのだ。

直面させられたのだ。

そこは、ただの空っぽだった。

その空っぽの底には、彼から特別な方法で金を奪い続けるギフがいた。

彼の母親は、ギフを飼っていたのだ。

彼には、義父ではなく、ギフという謎の生き物に見えた。

彼の母親は、ギフと言う生き物の住処だった。

彼は、その時に自分自身がギフという生き物と同じであることに

気が付いてしまった。

マンショという箱、穴に入れられ、観察されながら、金を生み続ける

生き物にされていた。

彼ほどの精神力を持ってしても、愛されていたという幻想を

自分自身から引き剥がすことは、耐え難い血が流れる作業なのだ。

しかし、どのような面から考えても自分が母親から愛されていない

ことを認めるしかなかった。

母親は、裏切っていたのだ。

最初から、嘘をついていたのだ。

彼が亡くなる数年前に別れたと彼に嘘をついた。

別れないと職場を辞めると本気で彼が言ったからだ。

彼の母親は、自分自身の空っぽの中にギフを住まわせるために、

彼に職場を辞めさせるわけには、いかなかったのだ。

彼は信じて働き続けていたのに、彼の母親は、ギフを

飼い続けていた。

そして、いつの間にか、彼の職場から直接、彼の名義で

金を引き出すようになっていった。

彼の母親の中でギフという生き物は、不可解な装置を

作り続けていた。

ギフは、彼を金を生み出す生き物にする世界に精通していたのだ。

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