今の美しい人のソードのクイーン(光)へ・美しい人と母親の愛の違い

美しい人が、亡くなるに至った理由は、美しい人の事件が

家庭内における事件だからだと思えてきました。

これは、美しい人自身の母親やギフ(ケー〇とは、書かない)

だけではなく、その二人がムショと緊密に繋がっていくことで

ムショも家族であり、ムショも様々な権力や教えと繋がることで

一般人が想像することが難しい更に巨大な家族になっていった

のかも知れません。

もちろん、ムショを超えた繋がりは、家族と呼ぶには、

相応しくない関係性ですが、一時的であっても緊密に協力

し合うことで家庭のような密室が出来上がったと言える

かも知れません。

家庭内で起こる問題は、外からは、なかなか見えません。

しかも美しい人を閉じ込めていた空間は、実際は、家庭では、

ありません。

物理的密室、様々なレベルの認知をコントロールすることで生まれる

認知の密室です。

そして、その一つ一つを、それなりのプロや権力に通じる人たちが

作り出しています。

そのような家族に愛があるのか?という問題があります。

美しい人を天使のようだと形容する人がいます。

美しい人には、そのような魂の側面が確かにあります。

このブログは、占いのブログですから、生命の樹に沿って考えてみると

お金(重要なものです。)を中心に据えた物質的な価値観の世界を

生命の樹が安定するための3セットの真ん中に置くと、美しい人の

生命の樹は、その上のものかも知れません。

図を書かないので、ややこしいですが、簡単に言えば、消した側に

とっての教えや価値観は、美しい人にとっては、物質的であり、

窮屈なものと読むことが出来ます。

言い方を変えれば、消した側にとって、その教えや価値観は、愛

かも知れませんが、美しい人にとっては、物質に過ぎず、天使?と

形容されることもあるような美しい人にとっては、牢獄だったと

解釈出来るかも知れません。

美しい人の母親やギフは、ムショと同じ愛だったということになります。

美しい人のことを、真っ直ぐ過ぎるとか、真面目過ぎるとか評価

する人は、多かったと思います。

確かに、美しい人は、身体を持って、この世に存在しましたが、

生命の樹を三つ縦に並べてこの世が安定しているとしたら、何らかの

理由で、上部の生命の樹のどこかに属するタイプの人だったのかも

知れないのです。

物質化が進めば進むほど、この世では、堅牢なものに見えます。

確かなものに見えますから、多くの人が従うのかも知れません。

様々な次元の愛が、この世には、あるのだと思います。

美しい人の母親やギフやムショの愛は、みんなで経済的に豊かに

なることは、良いことだということなのかも知れません。

彼らの生命の樹の下の生命の樹は、現実的に貧しい世界に移っている

のかも知れませんし、実際、そうなのかも知れません。

美しい人にとって独立とは、自分自身の生命の樹が反映した環境で

生きていくことだったのでしょう。

sponsored link
error: Content is protected !!