成仏出来ているのか?

楽しく生きるために使いたい海王星の視点という記事を

書きましたが、このように魂を主体に生きることを書くと、

他人によって不本意な死を遂げた場合は、ものの程度にも

よりますが、やはり一般的な意味での成仏は、難しいかも

知れません。

ましてや魂が望んで来たことに耳を傾けて一生懸命、努力

してきた魂を踏みにじるような形で消し去った場合は、

余計にそうかも知れません。

ましてや積極的に「口」と「兄」を使われた場合は、特定の

場所に縛り付けられてしまう場合もあります。

例えば、普通の交通事故であっても、きちんと弔ってあげるまでは、

事故で損傷した身体の姿で見えたりする場合があります。

亡くなった方にとってインパクトが強過ぎて、その印象に一時的に

支配されてしまうのかも知れません。

ましてや、積極的に「口」と「兄」を使われた場合は、ある特定の

場に、無残な姿のままで縛り付けられるような状態になる可能性が

高くなります。

そのような目的があるからこそ「口」と「兄」を使うのですが、

これを亡くなった人の意思だけで乗り切ることは、ほぼ難しいかも

知れません。

滅多にないことですが、このような状況に置かれている魂に対して

多くの人が善い念を送ることで癒しになる場合もあります。

本来であれば、魂は、「口」と「兄」で縛られるようなものでは、

ないのですが、何らかの迷いを刻印することで、亡くなった後も

積極的に自由を奪われているような場合は、仮に何とか抜け出しても

意味不明な恐怖として刻まれるかも知れません。

気持ち悪い手が無数に見えるような状況に対して、どれくらいの

善い念が必要なのか、検討も付きませんが、親身になり過ぎれば、

「口」と「兄」を使われた人の怒りや悲しみを感じたりして参って

しまう方もいらっしゃるかも知れません。

くれぐれも無理は、禁物です。

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