美しい人が亡くなった真相を知る太陽のカードの無意識側の子供

タロットカードを使って美しい人とスピリチュアルな

対話をした時に太陽のカードが出て来た場合に

付いて書いています。

太陽のカードは、私たちが知っている美しい人と

私たちが知っている美しい人を表現し続けるために

裏方に回った美しい人の二人を表しています。

素晴らしい表現者であるために生きられなかった可能性

とでも言えば良いのか分かりませんが、積極的に

生きる部分を影ながら支える部分です。

太陽のカードでは、その表向きで生きられなかった

可能性を子供として表しています。

これは悲劇的なことでもややこしいことでもなくて

タロットカードが作られた頃は、人間という存在に対して

現代のように完全に統一された意識を持つ孤独な存在

だと考えていませんでした。

例えば太陽星座で占いをすることもあると思いますが

太陽の意識はある意味無色透明であって太陽の価値観を

実際に支える水星や金星によって同じ太陽星座でも

中身と言うか味付けが変わります。

この時に二人の子供に対応するのが水星と金星であれば

太陽は、均等に水星と金星を意識せずにどちらかだけを

意識するようなものです。

一般的には、金星だけが意識されますし金星(意識)だけが

身体的なエネルギーやお金をかけてもらって肥大化

していきます。

しかしその人を導いているのは、水星の役割を担っている

子供です。

水星は、考え方(生き残り方)ですからほとんど意識されません。

美しい人の第4ハウスにある水星は、小惑星パラスと

コンジャンクションです。

この位置取りの水星とパラスのコンジャンクションは、

鋭い知性として発揮されるよりも人を和ませるような性格で

芸術に関する才能がありますし、そのようなことに対して

ポジティブに取り組めます。

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このような水星と金星が上手く統合されて牡羊座太陽を

持つ三浦春馬さんになるような感じです。

美しい人の水星とパラスのコンジャンクションの

配置は、良く言えば共感能力が高いのですが、とても繊細な

ところがあって必要以上に他人の感情の影響を受ける

ところがあります。

ですから子供の頃は、人見知りみたいな感じで自分自身を

ガードしていたかも知れません。

ホロスコープの説明が長くなりますが、美しい人と

スピリチュアルな対話をする時に太陽のカードが正位置

であればこの第4ハウスの水星とパラスのコンジャンクションが

美しい人に協力的に働いていると言えます。

もし逆位置であれば何らかの理由で協力することが

出来ない状態にあるのです。

「生き辛い人や自分らしく楽しく生きたい人たちへ「愛はある」

と伝えたい」という記事で呪いとは疑心暗鬼な状態に追い込むこと

であり、それを回避するためには、その人なりの個性で何らかの

スペースを創ることが大切だと書きました。

このスペースは、太陽のカードの見える子供と見えない子供との

距離とも言えます。

美しい人との対話(4回目の月命日、タロット占い)

で太陽のカードを取り上げましたが、観念的な死を感じる

ことであれ、美しい人が激やせするほど追い込まれる

ことであれ、苦しい状況になってしまっている時は

美しい人(太陽のカードの顕在意識側の子供)を影から支えている

美しい人(太陽のカードの無意識側の子供)が協力出来ない状況に

あるということです。

そして実際にタロット占いをしていて太陽のカードの逆位置が

出て来た場合は、協力出来ない状態だけでなく大なり小なり

実際に美しい人を追い込む存在として具体化します。

現実に嫌がらせを受けるということです。

これは不思議なことですが、私たちの在り方は実際に

身体側のコミュニケーションと無意識に存在して

身体にまで影響を及ぼすコミュニケーションと2種類ある

ということです。

美しい人とは、関係のない無意識レベルの話です。

実際に起こったこととして書きますが、夢の中で足首なりを

捕まれて起きてみるとくっきりと指の形が残るようなことも

あるのです。

この太陽のカードの子供は、誰かに発見されない限りお互いが

お互いの影を生きることでそれぞれの人生を生きていきます。

「えっ、美しい人が二人いるってこと?」と言われそうですが

ある意味、その答えはイエスです。

もちろん、表現者として生きた美しい人は、やはり一人なのです。

しかし、上述したように美しい人にとっての「見えない世界から

足首をつかむような存在」に本当に出会うと亡くなってしまいます。

これは、霊的な現象とと言う意味ではなく、美しい人が消された

真相や、それについて一部でも知っている人たち(分有)です。

美しい人は、生きること、表現することに一生懸命に取り組んでいる

最中にもう一人の自分に値するような何かを見てしまったのでは、

ないでしょうか?

正確に言えば、見せられてしまったのでしょう。

見せられてしまったものを無視出来ない場合は、消えてしまうしか

ないのです。

これは、普通の人も同じであって、このような影は、無視して

光の側の子供を追いかけていく必要があります。

そのようなやり方で統合せずに、無意識の子供に吸い込まれていくと

現実的には、消えてしまいます。

これは、現実の理不尽な要素に対するコントロール方法と似ています。

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