カップのスートが語る“あなたの水”──水の元素と感情の深層

私たちは誰もが、水という元素を内側に宿しています。
タロットカードで言えば、それは「カップ」のスートにあたります。

けれど、「水」とは一体、どんな存在でしょうか?
人によって、水のイメージはまるで違います。
それは時に、癒しであり、渇きであり、涙であり、記憶そのものかもしれません。

占いにおいて、水の元素は「感情」「愛情」「無意識」「共感」といった意味で使われることが多いですが、
その人にとって“水”がどのようなものかによって、解釈はまったく異なってきます。

今回は、物語タロットの視点から、
「水の元素」がどのように人の内側を流れているのか──
その深層を一緒に見つめてみましょう。

第1章:水は“その人”という山から生まれる

綺麗な水は、ただの偶然でそこにあるのではありません。
水は環境と一体です。
山の高みに育つ低木、風、太陽、微生物──
すべてが揃って、はじめて“清らかな水”が湧き出します。

けれど、もっと本質的なことがあります。
人間そのものが、“水を生む山”なのです。

その人の心、その人の身体、その人が育ってきた環境──
それらすべてが、ひとつの「自然」として存在しており、
その地形や気候によって、その人だけの水質が決まるのです。

感情とは、水そのものではなく、
その人の内にある水脈から湧き出た“流れ”のようなもの。

血管を水脈のように流れ、細胞を潤し、言葉を生み、目に涙となって表れ、
時に熱となり、病気となることすらあります。

自分に合った水が湧けば、人は健やかに生きていける。
しかし、水源が汚れたり、水質が乱れたりすれば、心身は不調をきたすのです。

タロットで「カップのスート」が現れるとき、
私たちはただ“感情”を読むのではなく、
その人の水脈を感じ取る必要があります。

それが湧き水なのか、雨水なのか、氷なのか、
あるいは長い間塞き止められていたダムのようなものなのか──
そこに、本当の読み解きが生まれてくるのです。

第2章:水の価値を知る者、知らぬ者

日本では、水道をひねれば水が出ます。
公園でさえ、冷たい水を無料で飲むことができる。
これは、世界ではとても珍しいことです。

もしあなたが砂漠で生まれたなら、水は命より重い価値を持つでしょう。
けれど、当たり前のように与えられた水は、
時に「感謝」や「価値」を実感できないまま、心から溢れ落ちていくことがあります。

これは、感情にも通じます。
誰かにたっぷりの愛情を注がれたとしても、
その水の“価値”を知らなければ、心を潤すものにはならないのです。

第3章:被虐待児にとっての「水」

水が“愛情”を象徴するなら、
その愛が与えられなかった人にとって、水はどう映るのでしょうか。

幼い頃に、愛を拒まれ、あるいは支配や暴力の中で育った人にとって、
水は時に「冷たい」「重い」「不気味な沈黙」を象徴します。
それは、優しさではなく、傷を隠す“湿った闇”として存在するかもしれません。

そういった方にとって、タロットのカップは、
“温もり”としてではなく、**未消化の感情の器**として現れるのです。

第4章:あなたの水を見つめる

占いを行うとき、水の元素に触れることは、
その人の「感情の記憶」と「愛のかたち」に触れることでもあります。

「あなたにとって、水とはどんなものですか?」
この問いは、とても静かで、深く、時に苦い問いです。
でも、その水の風景を知ることができたとき、
はじめて“癒し”や“解釈”が、正しく届くようになるのです。

第5章:水が濁るときカップの逆位置と“命の警告”

タロットカードのカップが逆位置で現れるとき、
それは感情が流れを失い、停滞し、あるいは過剰に溢れ出して、
心身に“ロス”を引き起こすサインかもしれません。

占い師としての視点では、
その時、感情という「水の元素」は、もはや穏やかな癒しではなく、
健康や命にまで影響を及ぼす流れの異常を示すことがあります。

たとえば、あるイマジネーションの中では──

心身という山の内部を流れる水路の壁面から、
ぽたり、ぽたりと液体が滴り落ちる。
その雫に指先が触れた瞬間、激しい火傷を負う。

それは、嫉妬と憎悪の感情が変質した毒水です。
かつて愛された記憶の川が、いつしか怨念に変わり、
心の中の水の流れを焼き尽くすような痛みを伴うものとなってしまったのです。

また、別のイマジネーションでは──

暗い地下の水路、
その中央にはゆるやかに水が流れ、
両端には人一人がようやく通れるほどの細い通路がある。

あなたは片側の通路を歩き、
対岸には、父親や母親、あるいは配偶者、子どもが、
声もなく、気づくことなく、反対方向に遠ざかっていく。

呼び止めようとしても、声は出ない。
そして気づけば、あなたの姿は徐々に毛に覆われ、
人間であった記憶さえ曖昧になっていく──

これは、愛の断絶がもたらすイメージのひとつです。
水が流れているのに、それはもう愛の水ではなく、
ただ人の形をした存在たちが、交わることのないまま、
孤独の流れに飲まれていく光景。

こういったビジョンは、カップの逆位置として現れることがあります。
それは「病気」や「破局」の予兆でもあり、
時には、“魂が水を失いつつある”警告かもしれません。

 補章:小アルカナは、癒しではなく“描写”のためにある

濁った水が流れているとき、
私たちはその状況に胸を痛め、なんとかしようとしたくなります。

しかし、タロットのカップのスート──小アルカナたちは、
その濁りを淡々と、ありのままに描写することを使命としています。

それが「カップの5」の悲しみであれ、
「カップの7」の幻想であれ、
「カップの9」の一時的な満足であれ──
それは、“現象”であって、“解決”ではありません。

再構築とは、大アルカナの働きです。

人生を変える、大きな流れや覚悟、魂の転機は、
「死神」「節制」「塔」「星」などのカードとして現れます。

カップが描くのは、
その大きな物語の中で、
今まさに流れている水がどんな性質を持っているのか。
それだけです。

結び:あなたの水の風景を感じ取る

物語タロットでは、誰かの“水の風景”を感じ取ることから始まります。
それが、澄んだ湧き水であれ、氷の川であれ、泥水の沼であっても──
その水は、その人の物語を静かに語っています。

「あなたの中に流れる水は、どんな水ですか?」

その問いを持って、カップのカードをめくる時、
私たちはきっと、「感情」を超えた“命の流れ”と向き合っているのかもしれません。

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