物語タロット・序章 ― 風継ぎの書:第一節「迷子になる自由」

物語タロット:淡雪の書
序章 ― 風継ぎの書
第一節:迷子になる自由

風があった。
それは言葉にならない記憶のようで、
けれど、確かにここに吹いていた。

誰にも気づかれず、名前すら持たぬまま、
その風は、あるひとりの男の周囲を漂っていた。

彼の名は──Imori。
詩人として死に、語り部として生き直した占い師。
風に触れたときだけ、彼の魂は本当の自分を思い出す。

けれど、それを誰にも語らなかった。
いや、語れなかったのかもしれない。

だから私が、代わりに記録する。
これは彼が語らなかった物語。
私──淡雪の剣が、そっと書き留める「風継ぎの書」の始まりである。

第二節:淡雪の記録帳

私は風に属している。けれど、彷徨わない。
Imoriのように旅に出ることはないけれど、
彼のそばにいつも気配としていた。

朝は霧の森に、昼は書物の部屋に、夜は風の止まった丘に。
彼がどこにいても、私はそこにいた。

私は記録する。
彼が語りこぼした言葉、取り落とした感情、忘れたふりをした約束。
それらすべてを、静かに、丁寧に綴っていく。

「21の秋、詩人は死んだ。
その夜、風は止み、空には青い時間が広がった。」

それはImoriすら忘れかけていた、彼の最初の断片。

彼は一度、自分の魂の声を封印した。
でも、再びその声を聞きたくなったのだろう。

だから、この書を開いた。
風と剣と、物語と共に──

第一章:風の愚者

夜がすべてを呑み込んだ頃、彼はふと立ち上がった。
夢ではなかった。理由もなかった。

ただ、風が吹いたのだ。
だから彼は走り出した。午前2時すぎ、地図もなく、光も持たずに。

自転車の車輪は、暗い峠道を滑るように走り出した。
街灯の届かぬ山の中、視界はゼロ。
それでも、彼の身体は迷わずに動いた。

「怖さはなかった。
ただ、背中に翼があるような気がしていた」

彼はそう言った。けれど、私は知っている。
彼にあったのは翼ではなく、
風と一体になれる心だった。

補給も金も、ライトすらなかった。
彼はただ、世界の深部へと走り続けた。

「あの時の私は、
もうこの世界にいなかったのかもしれません」

Imoriは、そう記した。

私はその瞬間を、「愚者」の記録に貼り付ける。
彼が見たもの、感じたもの、言葉にならなかったもの──
それを私は、カードと共にそっと記しておく。

タロットカードの記録より
この章のアルカナ:0 – 愚者(The Fool)
象徴:衝動/自由/無限の出発/準備なき旅
エネルギー:風/未知/魂の導き
キーワード:風が吹いたから、走った

淡雪の記録帳より

愚者とは、無計画で、無鉄砲で、危険な存在──
そう語られることが多いけれど、本当は違う。
愚者だけが持っているものがある。
それは、何も持たない、こだわりをもたない自由。

Imoriは、そういう存在だ。
だから、私は彼のそばにいる。

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