心の痛みと生きる喜び(生まれて来た理由)の関係

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人間を経験する私たちは、楽しいことばかりでは、

ありません。

常に受けて立つような局面があります。

正確に言えば常に12種類のハウスの現場に対して

開かれている存在です。

それは、つまり、最低でも常に12種類の豊かさを得る

局面があることを意味しています。

ただ私たちの理解の仕方は、比較(対比)ですから

幸福な状態と不幸な状態みたいな分け方になります。

不幸な状態は、誰だって嫌です。

このような意味で、大雑把に不幸を回避するためにには、

嬉しいことと挑戦しないとバランスが取れないことを

同時に扱う必要があります。

このバランスを取らずに目を閉じていると社会的に

どんなに恵まれていても知らない間に「痛み」が生じます。

そして、それは次第に大きくなっていきます。

社会的に成功した人が中毒作用やおかしなことをして逮捕

されるのは、根本的なチャレンジを止めて痛みが育って

手に負えなくなるからです。

しかしこの手の痛みを快楽で癒すことは、不可能です。

ささやかなチャレンジの方がずっと癒しの効果があります。

チャレンジを支えるための豊かさは、誰もが持っています。

12種類の生きる現場には、構成は人それぞれですが

12サイン(星座)の豊かさを備えています。

12サイン(星座)に分けられていますが、それは無限の豊かさを

人間(生きている魂)が理解出来るように分けたものと言えます。

実際に占星術的にもそれぞれのサイン(星座)は、360度

ありますから360種類の豊かさは、既に知られています。

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痛みの種類も一つでは、ありませんが、どのようなホロスコープで

あっても最初から組み込まれているのは、キロンです。

このような「しるし」とも言える「痛み(傷)」は、生まれ時間を

含めた誕生日と生まれた場所によって限定されます。

月にハードアスペクトを抱えている場合は、特にそうです。

チャレンジしないと自然に蓄積されていって我慢出来なくなる痛みは、

キロンだけでなくホロスコープ全体を読む必要がありますが、

それがどのような内容のものであっても「挑戦」し続ける局面を

持つことで豊かさや癒しになっていくものです。

生きることの無情さや現実世界の矛盾に板挟みになると

何のために頑張るのか?という思いに駆られることもあるかも

知れません。

極端なことを言えば、いつか死ぬと分かっているのに無理する

必要があるのか、無理と言わないまでも苦労するよりも

美味しいものを食べてしっかりと遊んで可能な限り楽しく

過ごしながら死を待てば良いのではないか、という疑問は

人の存在が時間と空間によって成り立っている時点で

許されないということです。

この世は比較でしか価値を計る方法がありません。

それでは大雑把になり過ぎるので研究する時は、膨大な量を

比較検討する羽目になります。

その程度に応じて理解は、進みますが、それでも真実に

到達することは、永遠にありません。

どこまでも真実は、遠ざかっていきます。

それは、私たちですら身体を持っていない状態の時は、無数の

世界に同時に存在しているからです。

私たちは、そのような癒しようなの状態から解放されて

自分自身の本質(魂)に新しい価値を加えるために、生まれて来た

と言えます。

そして取りあえず一仕事終わった時点で、身体を脱いであの世に

帰っていくことになります。

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