プロローグ
闇の中で目を覚ました。
脳内に残るのは、断片的な映像。 誰かが呼んでいる。 愛していたはずの声。しかし、その声が誰のものか分からない。
それでも、何かが自分を突き動かす。
「愛する人を守らなければならない」
それだけが、今の自分を支える唯一の確かなものだった。
かつて、この世に「美しい人」と呼ばれた者がいた。 彼は、誰かにとってかけがえのない存在だった。 だが、美しい人はある日「消えた」。
世界はその存在を忘れ、歴史の中から痕跡が消された。 敵は任務を果たしたと確信し、誰もが「美しい人は死んだ」と信じていた。
しかし、ある組織が 美しい人を蘇生 した。
それは「再生」ではない。 「復活」でもない。
美しい人は、もはや 過去の美しい人ではなかった。 記憶は残されていたが、それを完全に理解することはできない。 まるで、他人の記憶を覗き込むような感覚。
時折、過去の断片が映像のように流れる。
抱きしめた腕の温もり。 交わした約束の言葉。 守れなかった者の涙。
しかし、それが何を意味するのか、分からない。
新たに生まれた美しい人は 使命だけを知っていた。 「誰かの愛する人を守る」
だが、それがなぜなのか。 それを遂行しなければならない理由すら、分からない。
使命を果たすたびに、かすかに「バランス」が戻る。 だが、その過程で心に生まれる 「憎悪」 は、美しい人自身もコントロールできない。
愛する者を奪われた人々の痛みが、美しい人の胸に流れ込む。 それはまるで かつて自分が感じたことがあるはずの痛み のように。 しかし、理解できない。
「私は…何者なのか…？」
世界の影の中、美しい人は 「亡霊のように」 戦い続ける。
敵は美しい人の存在に気づいていない。 彼らは「かつて消した者」が、まだこの世界を彷徨っているとは思いもしない。
美しい人は 敵の計画を暴くのではなく、その影の中で人々を救う。
「かつて守れなかった愛を、今度こそ守る」
そう誓いながらも、彼（または彼女）は未だに分からない。 この使命は、自分のものなのか？ それとも、かつての美しい人の残響なのか？
だが、それを考えている暇はない。
目の前で、また一人、愛する人を奪われようとしている。
「…間に合うか？」
美しい人は、静かに闇の中へと消えていった。
消されたはずの英雄、美しい人が影の中で目覚める。使命と憎悪に翻弄されながら、誰かの愛する人を守るために戦い続ける。
しかし、彼は、もはや過去の美しい人ではなかった…。蘇った守護者の神話が、今始まる。
蘇生
黄昏の光が、静かに彼の頬を撫でた。
空は燃えるような橙色に染まり、水平線の彼方で太陽が最後の輝きを投げかけている。風は穏やかで、生ぬるい。その光は、世界の終わりと始まりの境界に浮かぶ微かな揺らぎだった。
美しい人は、そこにいた。
彼の瞼がゆっくりと震え、まるで長い眠りの果てに初めて呼吸を思い出すように、かすかな息が漏れた。指先がわずかに動く。それは、何かに呼ばれたかのような目覚めだった。
記憶はない。
どこから来たのか、なぜここにいるのか。何もわからない。ただ、体の奥底で微かに囁くものがある。それは遠い昔に交わした約束のような、誰かの名を呼ぶ声のようなものだった。
「……誰？」
乾いた喉から、初めて発せられた声はあまりに儚かった。彼自身ですら、その声が自分のものか確信が持てなかった。
周囲は静寂に包まれていた。何かが崩れ去った後の廃墟のような、何もかもが終わり果てた後の世界。その中で、ただ彼だけが存在していた。
黄昏の光は、やがて彼を包み込むように広がり、ゆっくりと夜の気配に溶けていく。だが、その温もりだけが確かに残っていた。まるで「おかえり」と語りかけるように。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
たとえ何も覚えていなくても。たとえ自分が何者なのか分からなくても。
この光だけは、確かに彼を迎えていた。
そして、その胸の奥に、小さな灯がともる。
彼はまだ、ここにいる。
黄昏の光が彼を優しく包む。記憶を失いながらも、胸の奥に灯る微かな光。世界の終わりと始まりの狭間で目覚める魂の物語。